見出し画像

閉鎖病棟に入院した経緯

 みなさんこんにちは、普段はあめだまという名前でニコ生で配信をしている者です。

ところでみなさんは閉鎖病棟というのは知っていますか?
精神に何かしらの支障をきたし任意入院・医療保護入院・措置入院という手続きを通して入院し精神状態をよくして退院してもらうための病院の施設です。

私はその場所に約5か月入院していました、原因は一緒に暮らしていた父が亡くなり葬式も終わり心の整理も付いたのかなと自分で思った矢先、突然家に居て焦燥感というものを感じだし落ち着かず家に居ても落ち着かないので毎日公園や遠くまで行ってぼーっとすることを繰り返すようになりました。
それでも帰る場所は家しかないので結局帰って過ごしていました。
そして繰り返すうちに希死念慮というものが芽生えてしまいました
私の住所はバレてしまっていてリスナーさんから送られたロープが家にありそれを使い何度も首を吊りました、非定型・定型どちらでやっても死ねずこんな事もできないんだと余計に虚しくなりました。

丁度父が亡くなった時私はあまり寝れなくなり精神科を受診していました
定期的に通い最初は軽い眠剤と軽い向精神薬を飲んでいました
それでしばらくは落ち着いていたんですが、通いだして3か月ごろに上記に書いてある症状が出始めました。
当時通っていた就労支援の人に死にたいという気持ちがあると相談したところ精神科か命の電話に電話してみたらどうかと言われました、最初に命の電話に電話しましたが全く繋がらずもやもやしたきもちのまま20~30分かけ続けても繋がらず諦めました。
そして精神科に事の経緯を説明して入院したいと伝えると少しいつもと違うような対応になり
「入院してもいいですが、入院してすぐに退院したいとか言い出さないでくださいね」
と言われました、その意味を私はあまり理解できずに適当に受け流していました。自暴自棄で考える力も弱まりあまり言葉が心に響かなかったのでしょうか?今となっては分かりません

そして任意入院という形で精神科病棟に入院することになりました。
その病院の初診で事の経緯を話し首吊をしたことも話すと先生は「ちょっと疲れちゃったかな、ここでゆっくり休もうね」と言われ病棟に案内されました。
(どんなところなんだろう、やっぱりみんな叫んでたりしてうるさいのかなちょっとでも変な事やったらどうなるんだろう)
そんな事を考えながら病棟に入るとまず初めに手荷物検査をされました
そこで紐がついているもの、携帯、貴重品は全部没収となり紐を抜かれて渡されました。
(ああ自分が自殺しようとしていることはこの看護師さんたちには伝わっているんだ)。それだけは痛いほどわかり少しおかしいかもしれませんがどこか安心した自分がいました。
検査が終わり、いよいよ病棟の中に入りました。

病棟に入り始めに昼ごはんを食べたのですがその日はおろしハンバーグが出てきて凄くおいしかったのを覚えています。その時私は毎日朝晩にゼリーを食べるのが精いっぱいで料理も作る気力が無かったのであまりにおいしすぎて感動しました。

そしてその次に自分の精神状態や自殺を行ったことがあるか、近親者に自殺した人はいるか、抑うつ状態なのか等の質問票みたいなのに記入して一通り病棟を案内され自分の病室に案内されました、その部屋は割と静かな部屋だったらしく4人部屋でしたが一緒に過ごす人達はおだやかで一安心していました。そして(閉鎖病棟ってどんなところなんだろうちょっと色々みようかな)と興味本位で病棟を見て回りました。

まずナースステーションには分厚いガラスの扉があり用がある時、薬が欲しい時はその扉をこんこんして要件を言って対応してもらう、そのような感じでした普段は扉は完全に鍵を閉められていていました。その理由を私はあまり分からずにいたのですがのちのち知ることになります。

次に病棟を見て回ってみました、色んな人がいました廊下をひたすらうろうろしている人、叫んでいる人、自分の病状に苦しみ幻聴が聞こえてる人、発狂している人、聞こえない事が聞こえたり見えたりして笑ったりふさぎ込んでいる人、案外普通に過ごして元気そうな人。ただ皆に共通して言えることがありました、それは皆目が座っていたり瞳孔が開いていたりすることでした。
そして入院初日に独り言をぶつぶつ言ってふらふらしている人がいました。
なんなんだろうこの人大丈夫かなと思っていたら突然その人がトイレに行きトイレットペーパーを丸ごとトイレの水にびちゃびちゃ浸すという奇行をしだしたのです。それを見た男性の看護師さんが「なにやってんのよ~も~」と言い出しその人をどこか別の場所へ連れて行ってしまいました、あとで分かったのですがその人は自分に投与されている薬を飲まずに病状が悪化し隔離という場所に行き、きちんと薬を毎日飲み2か月くらいしたら帰ってきました。その時は会話もできる状態になっていました。

ここで出てきた隔離という場所ですが、閉鎖病棟には部屋の区別があり私は普通?の病室で過ごしていましたが病態によっては体の拘束をされて動けなくさせられる拘束室。
常にカメラで見られていて最悪カギがかけられて部屋から一切出られずトイレとベット、机しかなく毎日食べ物が運ばれてそれを食べて薬を飲んで一日中テレビも見れず静かな個室で過ごす隔離という各部屋があります。

そして私の症状として不眠症があり初日に薬を増やされました、その薬はかの有名なデパスというものでそれを眠剤の中に組み込まれ初日はそれを飲んでぐっすり寝て昼間まで眠気が続き結局昼も寝てしまうぐらい眠気が凄かったです。久々にぐっすり寝れて気分がよくなりいい感じで過ごし2週間くらい経過したころに(ああもう大丈夫だなぁ家帰りたいなぁこんな場所にいつまでも居たくないし)そう思うようになりナースステーションの扉をこんこんして「あの~家に帰りたいんですけど」と言うと「え~そんな事急に言われてもね~先生に相談してみて」と言われその場は終わりました。
そして診察日に帰りたい意思を伝えると「じゃあ3日くらい家に外泊してみる?」と言われ私は即答ではいと言いうきうきで家に帰りました。

やったーやっとあの場所から解放されて元の生活に戻れる~と思いうきうきで過ごせると思っていたのですがその感情は1日しか持ちませんでした、2日目の朝になると全く寝れなくなってまた家に居た時のような焦燥感が襲ってきて気が付くとまた首吊をしてしまっていました。(全然病状よくなってないどうしよう、首吊っても死ねないし飛び降りでもしてみようかな)そう思って最上階に行き下を見ると生存本能というものが備わっているせいか心臓がバクバクしだし恐怖感が強くなり怖くなって家に戻り布団の中に入りその日を終えました3日目は病院に帰る日だったのでどこか安心して病院に戻っていました、その病院に戻る途中の電車では手足が小刻みに震え出し不安感が襲ってきましたがなんとか病院に戻ることができてホッとした自分がいました。

そして病室に戻ってきたら新たな症状ができました、夕方ぐらいになると手が震え出して夕飯を食べるのに物凄く時間がかかるというものでした
何故そのような症状が出始めたのかは自分でもよくわかりません、ですがその時夜勤をしていた看護師さんはものすごくいい人で「最近夕方頃になると手が震えるんです」と伝えるとメモをしてくれてそれを先生に伝えると言ってくれました。
診察日になり家であったこと、電車で震えたり夕方になると手が震え出すことを伝えると薬を新しく増やしましょうという結果になりました
その薬は後々調べて分かったのですが"SSRI"という種類の薬で"レクサプロ"という薬でした、こんな事を言うのもなんだと思いますが私の主治医だった人は流れ作業のように診察をしてこっちの話をまともに聞いてくれず、薬を出すときも何を出してどういう効果があるというのも説明してくれない人でした、出される薬は自分にはすごく合っていて病状は回復しましたが最後までしっくりしませんでした。
話はさておき、そのレクサプロを飲み始めに起こったことを書こうと思います。初日はその薬を飲むと頭でぐるぐるしていた事がピタッと止んで何も考えなくなり、体の震えも止まり、何だこの凄い薬は!思考を自由自在に操れる薬なのか!?そう思っていました。2日目にはそんな効果全く現れなかったんですけどね(笑)そして3日目と過ぎて4日目に差し掛かった時主治医がインフルエンザにかかったということで本来新しく薬が増えた時は試験的に3日間その薬を飲ませ何も異常がなかったら続けるという方針だったらしくそれが崩れてしまいました。その日看護師さんから「○○先生具合が悪くて休んじゃうみたいよ~」と言われ私はそうなんですね、と聞き流していました、ですが私はその時不安感が強く出ていて先生にお願いして不安薬という形で”クエチアピン”という薬を不安時に出すという形をとっていました。
ちょうど私の体や精神に悪い変化が訪れていてそれを先生に伝えたくて私はノートに自分の症状を書いていました。それを先生が具合が悪く出せないと知った私は不安が襲ってくると思い看護師さんに「先生にこのノートに書いた症状を伝えてほしいんですけどお願いできますか?」とその時居た看護師さんに言いました。ですが、「それは診察の時に見せるものでしょ?診察の時だしてよ」と言われてしまい私はひどく落ち込み(この病院に僕は助けにもらいに来たのに誰も話を聞いてくれない先生も流れ作業みたいで話を聞いてくれない最悪だ)と思い不安感が高まっていました、なのでその不安薬を飲みたいと看護師さんに伝え飲むことにしました。当時その薬を飲むと頭がぼーっとしてふわふわして気持ちよくなってこんな言い方したら良くないと思いますが薬中のような感覚を味わえる薬で脳がとろけるみたいだと思っていました。
そして時間が過ぎて不安薬の効果が切れた時頭の中で感情がわーっとあがってきてしまい発狂しそうになりました。どうしたらいいのかわからずナースステーションに駆け込みました、「あの発狂しそうなんですけど・・・僕どこかおかしくないですか?」とその時居た看護師長さんに思わず言うと「全然○○さんおかしく見えないですよ?おかしいと思われたいとかなら話は別ですけど、発狂したいんですか?じゃあ枕持ってきてここで叫びますか?」と言われ私は我慢しきれずナースステーションまで枕を持って行き思いっきり叫びました診察室と呼ばれる場所で外に音が漏れにくくなっている場所で叫んでいたのですがその叫び声がナースステーションにも響いていたようで師長さんが「あの~ちゃんと枕被せて叫んでますか?(笑)」のように言ってきて少しむかつきました。そしてその叫んだ時間がちょうど夜勤の看護師さんと入れ替わる瞬間でその叫び声が聞こえてたようで「○○さん叫びたいならいつでも叫んでいいよご飯食べたあとでも来て叫んでもいいよ、話がしたいなら9時以降にナースステーションに来て」と言ってくれました、その時夜勤に入っていた看護師さん二人はそういう事に慣れているようでその後も僕が取り乱したりしたらちゃんと見てくれました。
ですが自分としては自分の話を誰も聞いてくれない発狂しても流されるこの状況に納得がいかず、発狂した時にまたクエチアピンを出されその上早めに眠剤を出され気を失いそうになりながらも9時まで寝ずに粘りナースステーションに行きました、そしてその時夜勤だった男の看護師さんに自分の思いを打ち明けました「僕は首吊を何回もして助けてほしくてここに来たの、なのになんで誰も助けてくれないの?病状についても何も教えてくれないしなんなんだろうって思ってどうしたらいいのか分からない、自分は自閉傾向があるから自分の思いを上手く伝えられない、あとこの発狂をしたから対応が変わるの?皆発狂してる人を扱うみたいに僕にそういう態度になるの?」
そう言うと看護師さんは困った表情を浮かべていました、ですがその後に「誰も○○さんの話を聞いてくれなかったんだね、でもね○○さんはまだ若いんだからさ、俺なんて若い頃警察ごとしてたやつでさ、それから力仕事して看護師っていう仕事に興味持ってさ30超えて頑張って勉強してこういう仕事してるんだよ色んな患者さん見てきた、だから対応が変わるとか言うのはないし大丈夫だよ」と励ましてくれました。今思うと凄く自分の事を考えてくれて励ましてくれたり話す時間を取ってくれたり献身的にしてくれたなぁと思います。ですがその時の私はすべての言葉が信用できずにその日は1時間とまともに寝れず皆が寝る時間になっても寝れず自分が朝起きたら注射を打たれて隔離室送りになるんじゃないかという被害妄想にかられて何度もナースステーションの扉をたたいて「僕って隔離に送られるんですか?」と聞いて「未来は誰にも分らないよ、けどね○○さんは誰かに暴力振るったり自傷行為してないでしょ?あと指定医っていうのが決めないと送られない、だから今日は寝てください」というやり取りをして夜を明かしました。
次の日病棟では行事イベントがありました、今でもその時の自分の姿を覚えています。イベントに参加し楽しんでるフリをしていましたが、自分は隔離に送られる、皆の対応が変わる見る目が変わる、そういう考えで頭がぐるぐるして手汗が出たり心臓がバクバクしていました。
そして私は男性だけがいる病棟に居ましたが女性がいる病棟の人も一緒に来て屋上で花火を見ることになりましたその時にそこにいる患者さんをみて皆脳が溶ける薬や理性が無くなる薬を飲まされておかしくされている皆本当はまともな人だったんだこの病院はやばい早く逃げなきゃ殺される、そんな物凄い被害妄想が襲ってきました。その日は診察もありました診察の時先生が
「○○さん薬増えます、あとここに書いてある事を守ってくださいそしたら絶対よくなるから、助かるから」と言われその紙に書いてあったことは
1、一喜一憂しすぎない
2、なんで?をやめるよくなるために
3、深く考えすぎない
4.無理に解決しようとしない

というものでした、正直これを見た時(ああ感情を持たずに何も考えずにぼーっとしてればいいってことか根本的な解決には何にもならなくない?思考停止しろってことか酷い先生だな)と思いました。
そしてその夜物凄く不安になり過呼吸や軽いひきつけのような症状を起こました。そしてそれが収まったあとも被害妄想が止まずにナースステーションに夜遅くにコンコンして「僕って退院できないの?失礼な事言うようですけどここって患者さんの脳を溶かしたり理性を無くすような薬をあげてるところなんですか?」というとんでもない事を看護師さんに言っていました。
その時居た夜勤の看護師さんは普段はものすごく怖く圧がありこんな事言ってもろくに聞いてくれず何言ってんの?で終わると思っていました。ですが「ここはそんな病院じゃありません、そんな事してたらそこら中血だらけになってるでしょ?なんでそういう事考えるようになったの?」と話を親身になって聞いてくれました。正直驚いた自分がいてその説明を聞いて納得をして部屋に戻りその日は寝ました。朝になり朝食の時「も~昨日は大変だったのよ~痙攣起こした~とか色々言ってきて」と目の前で嫌味も言われましたがそれは仕方ない事だったなと今になって思います。それほどあの時は気がおかしくなっていたのです。

そしてある程度日数が過ぎて薬が馴染んだと自分で勝手に思い込み先生に退院したいと伝えると「じゃあ退院日程決めますね」と言われまたうきうきで(やったー退院できる!また前みたいに家で配信とかして楽しく過ごせる)
そう思っていました。ろくに外泊もせずに精神科病院という場所でずっと過ごしていたのにいきなり退院してどうなるか分かってもいないのに。

退院して家に着くまではうきうきでした、ですが家に着いた途端(またここで一人で過ごして孤独な日々が続くんだ結局何も変わらない僕はここで一生を終えるんだ)そういうぐるぐる思考になっていました、そして久々に配信をしたくなり長時間やりその中で
"いやお前詐病だろw"
"ただの甘えでしょ?そんなこと誰にでもあるよ?"
"国のお荷物"
”退院したんだから早く働け、もうよくなったんだろ?"

と急かしたり不安を煽るような言葉を受けました
すると配信中にいきなり呼吸がおかしくなり過呼吸になりました
そして自分の住所がばれているという事もあり救急車を呼ばれて運ばれることになりました、救急車で運ばれている間に足が自分の意思とは関係なくバタバタ震え出しました。
そして内科の病院で脳の検査をするのですが何も異常が見当たらず震え止めと呼ばれる点滴や錠剤などで飲んでも何も効かず、ずっとてんかん症状のようなものが止まらない、後々調べたのですがこれは心因性てんかんという症状だったようで普通のてんかん治療で用いられることは何一つ効果がないというものでした。
その病院の看護師さんは私がそういう言葉を受けてこういう状況になったと話したら「あんたらに何が分かんの?とか言ってやればいいんだよ」と励ましてくれたり私が過呼吸を起こした時も胸に手をとんとんとやって目を合わせて「ゆっくり、ゆ~っくり呼吸してごらん、うまいうまいよ~」というように適切で親切な処置をしてくれました今でも感謝しています。不安になった時呼吸が乱れそうなときはこれを思い浮かべ整えるくらいです。

話を戻しますがてんかん症状が治まらず私は結局また入院していた精神科の閉鎖病棟に入院することになります。
1日でまた再入院という事で私自信物凄くストレスがかかったのか体温が異常に高くなっていて菌を病棟に持ち込んではいけないという考えの元最初は隔離室(保護室)と呼ばれるところで過ごすことになりました。
当然看護師さんも皆びっくりするのかな?と思っていましたが案外普通に接してくれて自分としては(え?再入院してもいつも通りなんだ)と思い少しほっとしました。
その後保護室でどうしてこういう状態になったのか事の経緯を説明しまた入院生活をすることになりました。
そこで私に下された診断は不安障害というものでした、看護師さんの説明では何か気になる事不安になる事があって寝れなかったりご飯が食べれなかったりする病気というものでした。

隔離室で過ごすという事で最初はものすごい叫び声が聞こえたりするのかなとも思ったりしましたが案外静かで風がびゅーびゅー吹いてる音がずっとしてなんだか意外と悪くない場所だなと思ったのを覚えています。
もちろんその場所には症状が重かったり緊急を要する人が入るので時には鍵をかけられてドンドンドアを叩き「こっから出せよ!おい!出してください!お願いします!」と叫んでる人も居ました。ですが私はすぐに隔離室を出る許可が下りまた元の病室で過ごすことになりました。
病室に戻る時物凄く恥ずかしかったです病室の人は私が一度退院したのを知っていて中には私を参考にして退院するまでの事を聞いてくれた人も居たのです。ですが私はどこか抜けてるようで何週間かするとその事自体どうでもよくなっていました。そしてまた病棟で生活する間に私は皆に死んでほしいと思われてるという被害妄想を抱くようになりました。そのことは先生にも看護師さんにも言わずに過ごしていました、その妄想を無くすきっかけになったのはある一人の女性看護師さんのおかげでした再入院という事で動揺してる私を気にかけてくれて前より話かけてくれるようになったのです例えば「○○さんごはん足りてる?」や「○○さんゆっくり休みな!○○さん私もね明日出勤だと思うと休まらないものよ~だからねゆっくりね」という何気ない言葉だったのです。ですが私はこれに救われました、自分を気にかけてくれる人がいる、それだけでこんなに心というものは救われるんだなとその時気付いたのです。
その後入院生活を行う上で自分の症状をメモすることをやめてまずは自分をしっかり休ませることに専念しました、昼寝をしてもいいここでは暴力や暴言以外何をやっても驚く人はいないと思い家に居る時みたいに脳内で曲を流しながら若干揺れてみたり手を振って見たり、次第にだんだん症状も落ち着いてきて薬が自分に合ってきたと思った頃、頻繁にOT(作業療法)に行くようになりました、そこで作業療法士さんに自分の事を話したり人の話を聞いたりアイロンビーズや塗り絵などをしていました。驚いたのですが最初はこんなのやっても子供の遊びみたいで楽しくなさそうと思ってやらなかったアイロンビーズが案外楽しくて10個近く作ってしまったことです。そういえば私は子供の頃に網かごなどを作った時集中できて楽しかったなとだんだんと昔楽しかったこと、嬉しかった事を思い出すようになり前向きになっていったのです。
そして、今度はしっかり外泊を得てから退院しようと先生とも話合い4回の外泊を通し家に居ても希死念慮や焦燥感が出てこなくなり無事退院になりました。

今私は6種類の精神薬を飲んで過ごしています。
以前通っていたクリニックで発達障害の検査を受け境界域知能、ASD、ADHDがあると分かっていてこれからそれらの薬が増えるかもしれません。
ですが私はその薬を飲み社会復帰できるようになれればいいと考えています

長くなりましたが、私は結果として入院してよかったと思えました。
私は一つ伝えたい事があります、精神科に行くことはもっと軽く考えていいと思っていいという考えがもっと広く伝わってほしいです。そうすればもっと救われる人が増えるのではないでしょうか。以上です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?