「哀しみが止まらないやんか」#キナリ杯

”これ書いてみ。岸田奈美のキナリ杯。お題は子育て、お母さんのこれまでの人生で大切にしてきたこととかを3000-6000文字で(文字数制限はない)。アウトプット練習のつもりでやってみ。”

5月1日、息子からのLINEにこんなメッセージとともに、キナリ杯のURLが添えてあった。彼は7年前に就職のため家を出て、今は700㎞離れた場所に住んでいます。

URLの中身を見て、すぐに、”わかった。やってみるわ。”と返した。嬉しかったから。そして哀しかった。

もう何年も自分の中の閉塞感がなくならない。外へ向けて何かしらしようと思うのだけれど、気持ちが向かない。考えれば考えるほど、頭と心が離れていく...。そんな感覚で過ごしている時の息子からの“やってみー”やった。

私は一人暮らしやから、寂しいってことはある。もちろんある。けれど、それはそれだけのこと。困ることはある。困ることはこれから増えるやろうなと思って、急に心細くなることもあるけれど、寂しいのとは違うと思う。例えば、誰かといっしょに居て、寂しさを感じる、そういう寂しいもあるから、一人暮らしやから寂しい、ということにはならないと思います。

そしてさらに、私には好きと言えるものがない。この年(62歳)でやっと“趣味”に興味を持ち出したけれど、老後の為にという、全く不純な動機だけでは、出会えるはずもない。“趣味はなんですか?”と聞かれ即答できる人、打ち込んでいること・好きなことがある人が本当に“羨ましい”。“文章を書くことが好きなので!!”という人が羨ましい。それは書くということが、日常の中にあり、言葉を大切にしてきた人ってことやから。

 そんな中での“キナリ杯”。5月中旬までは全く書き出すことができませんでした。それでも2か所のアルバイト(私はこのアルバイトと息子からの仕送りで生活しています)の合間に、私なりの取り組みをしつつ、書きたいものを待ちました。 ...来ませんでした。

 

 5月14日息子に“煮詰まったー”と電話しました。”書いてる?書き出してるか?” “書いてへんの?!まずは書いていくことやって” “とりあえず書き出して”と言われ、わかったと返事しました。

その日に、書き出しました。初日のスタートの1000文字ちょっとは、無残なものでしたが、何か楽しくて、それから毎日書きました。


“いやぁ、まあええやん”と書いたものが、翌朝や時間をおいてから読み返すと“最悪”。その度に軽く凹みます。そんな、書けた凹むの繰り返し。書けば書くほど、そのギャップ、大きくなってはいまいかい?もう、楽しいどころではありません。

自分はアホであるかもしれないという疑いは、日増しに大きくなってくる。恥ずかしいのはイヤや!!そして全然良くはないけど、前へ進む為、よしとしましょう。息子は恥ずかしがるやろか?彼は平気。自分のことではないから大丈夫。

 そんなこんなの繰り返し。グルグルグルグル、繰り返しです。 そしてこのグルグルは、円を描きながら私の奥の方へと進んでいく...そんな感覚ありました。油断すると、すぐに頭の方へ浮いてゆく、浅いグルグルでもあります。

 

 もともと友だちは多くない方だけれど、この頃、さらに減りつつあります。ある友人は、“年とるってそういう事じゃないの”、とザックリ言います。

私も“そうやなー”と。

言っちゃえばそうなんや。

そして色んな意味で全くそう。

 40年来のつきあいの同い年の女友だちとの話です。会うことがめっきり減った彼女と久しぶりの長電話の後、モーレツに”もうムリ”と思ったんです。ケンカしたわけでもなく、いやな事を言われたわけでもないのです。例えば彼女とはある友人との様な、“それは年とったから”“そうやな”というようなたった2行の会話がないんです。できないんです。

 昔々読んだ女性作家のエッセイを想い出します。ピクニックのお弁当のおにぎりのせいで、何十年来の女友だちをなくしたという内容です。友人が作ってきた、ゆるゆるに握られたおにぎりが、その人の膝にポツンと落ちた瞬間彼女は、女ともだちとは付き合ってはいけない、とはっきり分かった。

“わかる...”

それでも私はその女性作家の方のように、これからは付き合いをやめるとは決められない。いつか、膝にポツンと落ちる日はあるやろなと思いながらも。

 

 子育て...か。エピソードくらいにしてほしかったなぁ。

フツーが良い。 と思っていました。

“子供は思ったとおりに育たない。育てたとおりに育つ”という言葉を借りれば、思ったとおりに育ってくれました。(笑)

フツーに笑い、フツーに泣いたり、怒ったり...フツーに育ってくれました。

 

 ‐だが、ひとはいずれは不快も知らなくてはならない。認められないこと、否定されるということも知らなくてはならない。(中略)人間としての義務である。

 けれども、それは、自分が基本的に認められ、受け入れられているという安心と快を知った後でなければならない。やがて快はただ快だけでないことを知る。不快もただ不快だけでないことを知る。唾棄すべき快、擁護すべき不快があることを知る。快の中から悪を、不快の中から正しさを取り出すことができるようになる。(本からの引用:勢古浩爾著)‐


 息子が4才になる頃、離婚してからは、ずっと二人で暮らしてきました。 それでも私が死んだらこの子はどうなるんやろう?って、考えることはしませんでした。いつ死んでもいいくらいに思っていたかもしれません。今は考えられませんが(笑)明るく楽しく暮らしていくための思い込みだったのでしょうか。矛盾した事を言うようですが、同時に精神的に病気にならないように、怪我をして入院しないように、とても注意していました。倒れることだけは、避けたかったのです。

 意識はありませんでしたが、これらも、大切にしてきたことに入るでしょうか。

 離婚した時から、忘れないようにしてきた言葉があります。“父親がいない息子のことを可哀そうとは思わない。私がそう思うと、息子は私のその哀しみを背負うことになる”

 

最後に、赤ちゃんの時のことを書いて、終わりにします。

        〈 準備が大事 〉

八ヶ月頃のことです。断乳か 離乳か、悩んでいたのを覚えています。 本(当時スマホは、でていません。)を読んだり、結構早くから、準備はしていました。

それでも、まだ悩んでいました。その日も、彼のその飲みっぷり(母乳でした)は、凄まじく、どちらにしても、まだまだ先やろうなー、長くなるんかなぁと思っていたら、突然、前回の授乳時には、そぶりもなかったのに、私が、近づけると、“ あっち向いてホイ” するように、プィ 。口もつけずにです。

いやいや、そんな 急に、プィせんでも。こっちが、とまどうわ。言えへんやろーけど、なんか言えへん?

         感謝を込めて


          《 完 》


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