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犬と怪我

私の右脚には傷跡がある。
薄い、まるで繊月のような形の。
これは昔、一緒に暮らしていた犬の爪が当たって付いた傷だ。

幾つの頃だったか、犬と遊んでいた時に爪が触れて3cmほど綺麗に切れた。
痛みよりも驚きが大きくて、鮮やかな血が自分から流れていることに体が冷えた覚えがある。

傷は問題なく塞がりかさぶたも取れたが、痕はうっすらと残ってしまった。
指で触ってもわからない程度ではあるけれど目には付くので、正直少し嫌だった。

数年後、2013年9月7日。
この日が犬との別れの日となった。
土曜日の朝、リビングに母と犬。
「朝早くにね」と、母が言った。
私は犬を少し撫で、仕事のためそのまま家を出た。
その日は青空の広がる、とてもいい天気だった。

仕事が終わったのは20時を過ぎた頃。
最寄り駅まではなんとか辿り着けたが、家までの道のりは涙が止まらなかった。

翌日、父と母、私の3人で犬のお葬式をあげに車で山奥へと向かった。
その日は朝から雨模様ではあったものの、霊園へ到着する頃には陽が差してきた。
(この霊園、後に悪めのニュースとして取り上げられていて驚いた)

台に乗せられた犬の周りには、自宅から持ってきたごはんやおもちゃ、お花などを置いた。
どれもがきらきらと輝いて見えた。

「これが最後ですよ」

そう言われて、そっと犬に近付いた。
白く冷たく硬くなった体に触れた瞬間、感情が暴走した。
ほぼ絶叫に近い声で泣き叫んだ。
外側に向いた矢印が全方向に一斉に飛び散っていったようで、自分が自分でないみたいだった。
あんなに大きな声で泣いたのは、後にも先にもない。

数十分後、犬は骨となった。
形がなくなると、本当にこれまで存在していたのかがわからなくなる。
ぼうっとした頭で、骨壺いっぱいに骨を詰め込んだ。
霊園の人曰く緑がかった骨は生前幸せだったという証らしい。
嘘か本当かはわからないが、そうであればいいなと思った。

ーーー

犬がいない暮らしは、何かがおかしかった。
歯車がひとつ外れてしまったようで、相手との距離感が図れず、なんとなく不安定でぎくしゃくした。
犬の存在の大きさを改めて知ることとなった。
特に父にはどう接して良いのかがわからず、久しぶりに会った親戚みたいな態度をしばらく取ってしまった。

あの日から数年が経った。
いない存在を感じるために写真を見たり、思い返したりはするが、それでもやはり記憶は少しずつ薄れていって。
骨だけの姿を見たときに感じた「存在していたのかがわからなくなった」という不安な気持ちが大きくなった。

そんな時、ふと、あの傷跡のことを思い出した。
いつも視界に入っていたはずなのにすっかり忘れていた。
指で撫でてみると、走馬灯のように犬との記憶が溢れて涙が出た。
毛並み、匂い、声、全てがちゃんと私の中に残っていた。

消えてほしかった傷跡に救われた瞬間だった。

ーーー

生前の犬に対して、小学生の時に読んだ絵本「ずーっとずっとだいすきだよ」の主人公のようには出来なったし、辛く当たってしまったこともあった。
後悔することは数えきれないほどある。
でもそれ以上に、今でも犬への愛が止まらない。

いつかまた会うことは叶わないけれど、もしまた不安になったらこの傷を撫でよう。
ともに暮らした日々を、忘れないように。

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