2024-04-21(推しが卒業する、背後で輝き続ける失われた価値)

https://x.com/nam_mitu/status/1781676843613163588?s=46&t=YLduu8KX7m-f2auJsMo92A

 推しというものにようやく辿り着けたと思ったら、すぐさま推しが卒業を発表した。私はすぐに出かける準備をしなければいけないらしい。
 価値あるものが失われた時、すべきことは何もない。あえて言えば、考えないようにすることだ。 
 価値あるものが失われるとは、その事象も、それにまつわる尺度すらも文字通り消え失せることだ。これは、それらを何らかのリターンに対するコストとする見方と両立しない。あの失敗のおかげで今がある、という見方をするならば、失敗による価値の喪失はなかったことになるだろう。私は、彼女との思い出をそのようにはしたくない。彼女はいなくなるけれど、飲み仲間は増えたし、大人になれたし、いろんな世界を知れた?いや、くだらない。彼女が私の世界からいなくなり、価値が失われようとしているなら、私は彼女のことをすっかり忘れてしまう準備をしなくてはいけないと思う。
 言っておくが、僕は彼女との思い出を容易に解消出来る簡単なものだと言っているわけじゃない。忘れられやしないだろう。これからの出会いや人生に影響だってあるだろう。
 でも、彼女という価値が失われるというのに、前向きに、今私の手元に残るもののために彼女の喪失はあったのだと、今の肯定のために失われる彼女をコストと捉えるくらいなら、すっかり忘れてしまわなければならないと思う。
 僕は2024-05-18を最後に彼女のことをさっぱり忘れてしまう。価値は失われる。それでいい。そのようにあるから、今、彼女には価値がある。いつまでも、忘れられた価値として、背後に輝き続ける。それでいい。


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