Etoooooe

日記とメモ

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最近の記事

2024-04-30の日記(大人の言うことは聞くな、歩け)

 僕は僕の立っている場所からしか世界が見えないが、皆も多分そうだ。だから、他人が僕の現状や行く末を客観視できるとは言えない。客観視と言われる目線は、大抵客観視ではない。大抵のコミュニケーションは主観の交換に過ぎない。  他人のアドバイスは重要だ。でもそれはその人に見えていて自分には見えていない部分を理解するためのもので、自分の目線を否定するためのものじゃない。さらにいえば、他人であることが重要なのであって、それが背の低い6歳児だろうが成熟した大人だろうが偏屈な老婆だろうが、重

    • 2024-04-27の日記(情熱がない)

       万引きをすることはそれほど難しくない。万引きした商品を元の位置に戻しに行くことは、とても難しい。何の例え話でもない。  前科持ちの人間として生きることは、おそらく諦めを知ることだ。僕の届かないところで何を言われようと、嫌われようと、変わろうとしている自分だけを守ることが必要だ。本当にそれだけを守ることが必要だ。  我慢ならない。身体がピクリと動き、声が出る。そこからは、ズルズルと自己弁護の時間が続く。そのあとに、後悔の時間が続く。顔が歪む。全部俺が悪い。あなたは何も悪く

      • 2024-04-21(推しが卒業する、背後で輝き続ける失われた価値)

        https://x.com/nam_mitu/status/1781676843613163588?s=46&t=YLduu8KX7m-f2auJsMo92A  推しというものにようやく辿り着けたと思ったら、すぐさま推しが卒業を発表した。私はすぐに出かける準備をしなければいけないらしい。  価値あるものが失われた時、すべきことは何もない。あえて言えば、考えないようにすることだ。   価値あるものが失われるとは、その事象も、それにまつわる尺度すらも文字通り消え失せることだ。こ

        • 2024-04-19の日記(嘔吐はアウトプットではない)

          足して2で割ったものを足して2で割ったものを足して2で割ったものを足して2で割ったものを足して2で割って元の値になる。シラフでいることが辛い。酒を飲むのが辛い。うつ病でいることに甘えている。ctrl+zは効かないようにした方がいい。アドリブで生きられない。責められる要因が多すぎる。常に居心地が悪い。胃の中が気持ち悪い。猫を撫でると毛が散る。桜はすでに緑色である。休学許可証でも年金は猶予が貰える。モラトリアムはないならない方がよかった。人の努力を甘く見ている。何かを過食したい。

        2024-04-30の日記(大人の言うことは聞くな、歩け)

          2024-04-15の日記(推しが今日もかわいい笑)

           「推し活」というものに順応してきた。あれは個人と個人の間の関係性を指すものではなく、コミュニティ単位で行動するという姿勢のことであるようだ。  推しは個人と個人の間にある繋がりのことではないから、僕と推しの間には何もない。僕と繋がりうるのは、その人を推している人たちというコミュニティだけであり、推しはそのコミュニティと共に、それに向き合ってコミュニケーションを取る。このことが、率直に素晴らしいのだ。だから、具体的には、僕は推しに愛の告白をするのではなく、推しが今日もかわいい

          2024-04-15の日記(推しが今日もかわいい笑)

          2024-04-08の日記(視野は狭い広いではなく、近い遠いであると思う)

           僕は誰かが生きるために何かできているだろうか。  あなたは見返りは必要ないという。本当に?それで何も変わらなくても?変わることは、見返りでしょう。あなた、本当は何か変わると期待しているんでしょう。  かつて僕の行動に対する見返りは本当に少なかった。いちにちじゅう寝ていて、たいてい何も変わらなかった。そんなこと期待もしてなかった。  でも、最近は働いている。僕はゲームのデバッグをしている。見返りは、ひとまずお金だ。でも、お金よりも一番大事なのは、僕が見返りを求められるくらい世

          2024-04-08の日記(視野は狭い広いではなく、近い遠いであると思う)

          2023-03-24の日記(多数派の論としての一般論についてと、思想の自由について)

           僕は今まで一般論を「合理性、妥当性などの一般性(普遍性)によって全体に正しいと認められると考えられる論」という風な理解で使ってきたけど、昨日もっとシンプルに「多数派の論」という風な使い方をする人と話した。  僕はこの「多数派の論」としての一般論は議論の中では扱わない方がよいと思う。その理由は「多数派であることは正しさを担保せず、ポジショントークを増長させるだけであること」と、「全体が観測不可能である以上多数派が自分に有利なグループになりやすいこと」の二つである。  一つ目

          2023-03-24の日記(多数派の論としての一般論についてと、思想の自由について)

          2023-03-22の日記(時計回りであることをやめ、反時計回りをし出す女性)

           最近は週三でアルバイトをしています。ほとんど初めてしっかり働けているのですが、この短期間で魂が右傾化するのをひしひしと感じています。  それがいいことか悪いことかは分からないし、そもそも僕は自分の右傾化についてきちんと話せません。それをきちんと体系的な言語にできるようになろうと思って(これも、何となく保守的ではありませんか)なんとはなしに的中していそうに思うマイケル・サンデルの「公共哲学」を読み始めました。  しかし、まずは上手く話せないとしても、現時点の自分の感覚を記して

          2023-03-22の日記(時計回りであることをやめ、反時計回りをし出す女性)

          うっせぇわ feat.俺

           人はその人の立つ場所からしか正しさや愚かさを見ることができない。でも、その人が言葉を作るのもいつだってその人の立つ場所だ。そこにはその通りの前提と理論と結論がある。だから、その人は正しさや愚かさを、堂々と見せつけなければならない。  小さな頃、僕は優等生だった。そのまま、僕は気がついたら大人になっていた。僕は自分の思考はいつでも正しく、他人を傷つけるものではないと思っていた。大人になった僕は、人がどれだけ傷つきやすいかを知った。僕がどれだけ傷つきやすいかを知った。それでも

          うっせぇわ feat.俺

          サカナクションの思想(サカナクションの「夜」とは何だろうか)

          1.はじめに  サカナクションの詞には、相当の頻度で「夜」が登場する。YouTubeにミュージックビデオがアップロードされている詞のある楽曲32曲中20曲に「夜」という語が含まれており、その他の楽曲にも「日没」「青紫の空」「藍色の空」「月」など夜に関連する語が登場しているものがある。サカナクションの楽曲のほとんどの作詞作曲を担当する山口一郎氏は、「夜」をどのようなものだと考えているのだろうか。そして、どうしてそこまで「夜」に執着しているのだろうか。この記事では、YouTub

          サカナクションの思想(サカナクションの「夜」とは何だろうか)

          星野源の思想2(星野源は「海」によって破綻するかもしれない)

          1.はじめに  本文に入る前に、まず前回の記事の要点をまとめる。  星野源は現実や真なる世界を追求するのではなく、自分自身の作る嘘や妄想の世界を生きることに価値を見出していると筆者は論じた。そして星野はその根拠として時の概念に触れていることを指摘し、終わりがある私たちが続く(連続する)ことが嘘や妄想の一つの形としての愛に依拠していると考えられることを述べた。つまり星野は、私たちが生きていくためには時をつなぐ愛が必要であることから、愛の中で生きることを重要視しているとした。

          星野源の思想2(星野源は「海」によって破綻するかもしれない)

          星野源の思想(結局 意味なんかないさ 暮らしがあるだけ って何?)

           星野源の曲の中で最も有名なものは「恋」だろう。この曲は実写化ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」と共に大ヒットし、「恋ダンス」と共に世間で流れに流れたので、特に星野源に詳しくない人でも歌詞をある程度覚えているのではないだろうか。しかし、その内容は意外と難解なものを含む。  星野は意味はなく暮らしがあるだけというが、それはどういうことだろう。暮らしとは何で、意味とは何だろう。それを考えることは意味を考えることで、この思考自体破綻しているのだろうか。だとすると、星野は単に虚無主義で

          星野源の思想(結局 意味なんかないさ 暮らしがあるだけ って何?)

          2024-02-16の日記(コンカフェのキャストをブロ解した)

           コンカフェに行くことに希望を抱けなくなって、X(旧Twitter)でFF関係にあったコンカフェキャストをブロ解した。理由はいくつかに整理出来て、以下の通りだと思う。 1.コンカフェキャストをナイーブに愛している僕は、彼女と近づくことも遠ざかることもないと理解したこと  コンカフェに行っていたのは、一人の女性に狂っていたからだった。僕は彼女のことを本当にナイーブに好いていた。一緒にゲームをしたり、ご飯を食べたりするような欲望をいつでも持っていた。当然ながら、彼女はいつでも

          2024-02-16の日記(コンカフェのキャストをブロ解した)

          2023年までで最もよかった音楽の1つ

          友人達が2023に聞いた曲のベスト10を決めて紹介する記事を書いていて、確かに同じ曲でもそれに感じるものというのはその時々で変わるので、書き記しておくのは大事だと思った。 a子 - 「情緒」(理芽Cover) 2023年も鬱に苦しんだ。最近は小康を得てきて、この情緒について前ほどの共感もなくなった。けれど、この曲が僕を代弁してくれているかのような感覚にあったことは忘れないようにしたい。鬱の人間が必ずしも理解者を欲するわけではないが、この曲を繰り返し聞いていたことは事実だ。

          2023年までで最もよかった音楽の1つ

          2023-01-08の短編(Re:トラックに撥ねられたらペルソナ5の世界に主人公として転生した件について)

           仕事に疲れてぼうっと歩いていたら、大きなクラクションの音にも気づかないままトラックに撥ねられた。あっという間に意識が飛んでいって、僕は眠った。  そして気がついたら、何度も何度も繰り返しプレイしたペルソナ5の主人公になっていた。これは辛い人生の褒美だと思った。これからは好きなように生きられる。好きなキャラクターと好きな暮らしができる。そう思った。  しかし全て違った。あいつらとのコミュニケーションには中身がない。僕はあいつらと規定された種類の文言でしか会話できない。僕はあい

          2023-01-08の短編(Re:トラックに撥ねられたらペルソナ5の世界に主人公として転生した件について)

          2023-01-01の日記(吐瀉物より醜い43分)

           新年を祝え。助けてくれと思い続ける間にも太鼓の音が遠くで聞こえて、それが頭の中を靄のようなもので満たしている。肺が湿気っている気がする。  今年はもう43分も終わった。何も為していない。みんなそうであることは何の救いにもならない。呼吸が濡れている。  何も始まっていないのに、何かが終わったらしい。具体的なものが何もないまま速度だけを感じている。エスカレーターは動き続ける。ボタンを押されないならエレベーターは動かない。これは何かの例えですか?いいえ、何でもありません。  美文

          2023-01-01の日記(吐瀉物より醜い43分)