2023-11-30の日記(気球がひとつ、浮いている)

 気球がひとつ、浮いている。あなたはその写真をスマートフォンを横にしてとりますか?縦にしてとりますか?
 以前は馬鹿にしていた曖昧な占いも、最近では信仰するようになった。僕は今日、天辺に気球のおもちゃがついた遊具を、スマートフォンを縦にして、目一杯空を映して撮った。
 何事にもメッセージはない。大切なのは、気球の写真であることだ。それは分かっている。でも、僕は背景の空が横に広がっているのか縦に広がっているのかで、撮った人物の心のありようを見ようとしてしまう。
 浮かぶものであるのに、そこにある気球。階段を登れば、触ることのできる気球。いっぱいの空に押しつぶされている気球。

 太陽に模様はない。太陽は一切の解釈を拒む。解釈しようとする者には眩みを与え、他の全ての事物を見ることすら許さない。
 しかし、そのような太陽があって初めて影が生まれ色彩が生まれ、生命は生い茂る。「君は僕の太陽だ」という決まり文句がある。その人が何事にも先立ち、あらゆるものの形が定まるという恋の性質をよく表している。
 しかしさて、太陽が僕たちには眩しすぎた場合どうなるだろう。太陽そのものは見ることができず、残るすべては鬱々とした灰色に占められた世界になる。
 そんな時僕たちを救うのが、月の模様だ。僕たちが解釈できるのは、月の模様だけだ。
 月の模様が人に見える人は寂しい人だ。僕は月を、スマートフォンを縦にして撮るだろうか。


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