2023-03-22の日記(時計回りであることをやめ、反時計回りをし出す女性)

 最近は週三でアルバイトをしています。ほとんど初めてしっかり働けているのですが、この短期間で魂が右傾化するのをひしひしと感じています。
 それがいいことか悪いことかは分からないし、そもそも僕は自分の右傾化についてきちんと話せません。それをきちんと体系的な言語にできるようになろうと思って(これも、何となく保守的ではありませんか)なんとはなしに的中していそうに思うマイケル・サンデルの「公共哲学」を読み始めました。
 しかし、まずは上手く話せないとしても、現時点の自分の感覚を記しておいた方がいいんじゃないかと思い、今日記を書いています。

よくある「自分と他人は違う人間である」という主張の筋は、人間という大きな括りでの同質性を先に想定し、その後自己との異質性を認めるような方法で行われているように思います。つまり、順序としては1.自己と他者を含む人間というものがある2.自己と他者には違いがある、つまり人間は異なるものの集まりである、という感じです。しかしこの方法では、自己より先に人間という大きな括りが出来ており、その材料が不明なように思われます。
人間とはなにか、他人とは何かを捉える時、私の絶対性、異質性を最初に認めるような方法でなければ、人という大きな括りを作ることもできないように思います。

 2年半前の日記ではこのように言っていました。みんな同じだと思うところからみんな違うという結論に至るものがいることと、自分はみんなと違うと思うから他人と同じ人間という枠組みを獲得しようとするひとがいること。僕は2年半前には、確実に後者のひとでした。でもいまは、どちらのいうことも何となく分かります。2年半前の僕に何と言っていいか分かりませんが、みんな同じだというこの実感は、本当に自明であるかのように見えるのです。そんなもんか、そんなもんだな、と、心が言うのです。そう見え始めてしまったら、もう違う形には見えなくなってしまいます。
 女性は時計回りに回っていますか?それとも反対?きちんとメモしてから寝ましょう。

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