怒れる=情熱がある

うちの父親は子供の頃から、よく怒る人でした。
僕たち家族にはもちろんのこと、職場の同僚にも怒り、テレビを見ては芸人やタレントさん、日本の政治に対しても怒りを露わにしていました。

本当に偏屈な人間だと思いますし、実際にそうだと思います。

何でそんなに不満を抱けるのか。何で周りの人間に嫌われても怒り続けることが出来るのか。
僕には疑問でした。
だって、学校ではみんなでお手てを繋いで仲良くしましょう、と教わるのに、1番身近な父親が真逆のことをしているのですから、違和感しかありませんでした。
ただ、今は父親のすぐ怒る性分に対して、尊敬の念すら覚えていたりします。
それは、ある気付きがあったから。

最近、『だが、情熱はある』というドラマを観まして、そのドラマの題材となった南海キャンディーズの山里亮太さんという人がいるのですが、彼もよくイライラを露わにする様子がドラマで描かれていました。
ドラマの中では『嫉妬』『妬み』という表現が多く使われていましたが、他者に対して自分と同じレベルの情熱量を求めたり、自分にないものを持っている人に対して苛立ちを覚えている様子は、僕には父の姿と重なって見えました。
なぜ、あんなにもイライラ出来るのか。
いや、笑った方が楽しいよね、人生って?
26歳の若造が言うのもなんだけども、そんなことを思いました。

でも、ふと思いました。

それだけ現実を本気で生きているのかなって。
本気で生きているからこそ、感情が揺さぶられる。それが怒りとなって現れる。
そう考えると、怒れるって、とてつもなくエネルギーがあるから出来ることなのかもしれないと思えてきました。

自分に、そこまで怒れることがあるかなーなんて考えてみますが無いんですよね。平凡に平坦に生きてるなーって思います。

職場の同僚に対して不満を持ったり、才能のある人に対して嫉妬することはあっても、それを表に出すことはほとんどないし、基本的に揉め事は嫌いだったりします。誰かとぶつかってまで自分の意見を通す信念は持ち合わせてないです。

どちらの生き方が正解かなんてありませんが、何かを為す人間というのは、とてつもない凄いエネルギーを持っているんだろうなと思いました。

そして、そのエネルギーに周りも感化されて、また新たなエネルギーが生まれる。そうやって、エネルギーが循環していったら面白いし、今は情熱が無い人も、情熱を持って生きれるようになったら、とても良い社会になる気がする。

どれだけ才能がなかろうと、今満たされていなかろうと、情熱だけは持っていたいと思った。

そして、それを誰かに向ける人でありたい。
誰かの為に怒れる、そんな心の澄んだ人でありたい。

父親は偏屈かもしれないけど、真っ直ぐな人ではあるから。

そんな父に恥じない生き方がしたい。

そんなことを思った26歳の夏。

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