モカと彼女 第二話 モカと家出少女②

「死にたかった?」
ココアの言葉を繰り返す。
モカの言葉にココアが頷く。
「はい。何もかも上手くいかなくて、だから、この《《お店の先にある》》崖から飛び降りようと思っていました。だけど、その崖の途中にこのお店の明かりが見えてしまって、何故だか立ち寄ってしまいました」
ココアの言葉は淡々としており、それが主観の含まない、ただ事実を述べているだけなのだと分かった。
「なるほど。で、マメ先のつまらない過去話を聞いたら死ぬことがバカらしくなったんですね?」
言うが早いかマメ先に後ろからど突かれた。
本当にすぐ手が出る人だ。
「な訳ないでしょ。モカくんの見え見えのアプローチがウザくて死ぬよりも、殺してみたくなったんだよね?」
「物騒過ぎるでしょ。絶対ないわ」
例によって、しょうもないやり取りをしていると、ココアはまたクスクスと笑った。


「違いますよ。生きるのも悪くないのかなと思ったんです、こうやって笑えるのなら」


その笑顔は心からのものに思えた。
天使が心から笑っている、なんて素晴らしい世界。
モカはココアに近付くと、その手を握った。
ココアの手は女の子らしく、すらりと細く美しい。彼女の手をそっと握り、ほんのり赤く染まるその顔を見つめる。
「僕も今、生きるのも悪くないと思えました。あなたの笑顔が見れたから」
「い、いえ、別に私にそんな力は.....」
「ありますよ」
モカは真顔のまま、ココアを見据える。
「自分に自覚が無くたって、自分が誰かの支えになっているなんて、よくあることです。ココアさんが我々のやり取りを聞いて元気を貰えたように、あなたの笑顔が誰かを元気づけることもあるんです。俺は少なくとも、あなたの笑顔が見れて嬉しかった」
「嬉しかった.....ですか?」
「はい」
「でも、それはモカさんが優しいからそう思うのであって、他の人は.....」
「他の人なんて関係ない。自分の目の前にいる人が、自分のお陰で元気になれた。その事実だけを見て欲しい。今までの人生で他の人に何を言われたかなんて関係ない。死にたくなるほど、辛いことがあったのかもしれない。でも、それを掻き消すほど、幸せなことだって必ず起こる。生きてさえいれば」
「.....!!」
ココアの瞳が大きく開かれる。
「幸せになって....いいんですか?」
「なっていい」
「私なんかが?」
「あなただからこそ」
「.....生きてて、いいんですか?」
「当たり前だのクラッカー」
「へ?」
ココアが一瞬キョトンとした顔になる。
その顔に向かってニヤリと笑いかける。
「なんてね。笑っていきましょう。綺麗な顔が台無しだ」
いつの間にか、頬を伝っていた彼女の涙を、モカはそっと指で拭き取る。
「気楽に生きなよ、もっと。人生は自由だ」
ココアは涙を自分の袖で拭う。
そして、力強く頷いた。
「はいっ....!」
良い雰囲気になる2人を、マメ先は興味なさそうな目で交互に見つめていた。

「え、何この雰囲気?」
ひと段落したところで、マメ先が切り出す。
「え、分からないですか?一組のカップルが誕生した雰囲気ですよ?」
「いや、意味分かんないから」
マメ先がボヤく。
二杯目のコーヒーを飲むココアの方をマメ先は向いた。
「ココアちゃん、この子ほっとくと、スグに調子乗るからね。嫌ならハッキリ言ったほうが良いよ」
「え、いや別に嫌じゃないですよ。ただ、その、モカさんともし一緒になれたら、幸せだな、とは思います」
ココアの視線がチラチラとモカの方を向く。
その視線の先でモカは、これでもかと言うほどドヤ顔をしていた。モカだけに。
「いやマジかアンタら」
マメ先は呆れたように溜息をついた。
「残念でしたね、先輩。これで合コンには死んでも行かないですから」
「いや、今もうそれどうでも良いから」
マメ先はもう一度、ココアの方を向く。
「てか、そもそも何で死にたいと思ったわけ?そりゃ生きてたら色々あるだろうけどさ」
「マメ先って無神経ですよね」
モカが横槍を入れる。
「いや普通の疑問でしょ。てかマメ先って何?アタシのこと?」
「心の中では、いつもそう呼んでます」
「今それ言う!?」
「私、いらない子だったんです」
ポツリとココアが呟く。
言いあっていたモカとマメ先は、口喧嘩を止めてココアを見た。
「って言っても、今はモカさん.....モカくんが必要としてくれているので、いらない子ではないんですけど」
「その通り」
うんうんとモカが頷く。
ナイス君付け。
マメ先はふたりの様子に段々イライラしているようだった。必死にイライラを抑えた様子で、ココアに尋ねる。
「で、何でいらない子だって思ってたわけ?まー、今更聞くことでもないのかもだけど」
「ウチは、両親共に大学で教授をしていまして、ちょっとお堅い家柄ではあったんですけど、その中で私は落ちこぼれでした。勉強も運動も点でダメで。だから、なんとか必要とされたくて、ノリ坂46のオーディションに応募したんです」
「ノリ坂?」
マメ先は頭にハテナマークを浮かべた。
「何それ?」
「やっぱ、もう歳ですね先輩」
ククッとモカが含み笑う。
「は?」
「ノリ坂って、今メチャクチャ人気じゃないですか」
「そーなの?」
「テレビに出たらノリが貼られることで有名なんですよ」
「そんな奴らがテレビに出ていいわけ?」
「で、ノリ坂には入れたの?」
マメ先の言葉を無視して、モカが身を乗り出して聞く。
ココアがコクリと頷く。
モカは天を仰ぎ、小さくガッツポーズした。
「俺の目に、狂いはなかった.....」
「ウザい」
マメ先が吐き捨てるように言う。
「ただ」
ココアが言葉を詰まらせつつ話を始める。
「両親は反対でした」
「何で?」
「ウチに、そんなノリのついた娘はいらないと」
いやどんな理由だよ。
モカはそう思ったが、流石に口には出せなかった。
代わりにココアの気持ちを代弁することにした。
「1番認めてほしかった人に認めて貰えなくて、苦しかったんですね」
ココアが黙って頷く。
「でも、それで死のうとしなくても良かったのに」
マメ先が、のほほんとした口調で言う。その声色に悪意は含まれていないように感じた。
それを咎める訳ではないが、モカは思ったことをそのまま伝えることにした。
「いやいや、誰にも認めてもらえないって、案外辛いもんですよ。世界にポツリと一人取り残されたような感覚になるんです。自分は世界に受け入れられていない。生きる価値がないって」
モカは淡々と続けた。
この話に感情を入れたくは無かった。
嫌な記憶を思い出してしまいそうだから。
モカはココアに向き直る。
「でも、そーいう理由なら、悪いけどココアさん。あなたは帰るべきだ」
モカがそう言うと、ココアは困惑した表情を浮かべた。
「え、でも、帰りたいとは思えないです.....私はあなたといたいから」
「僕もあなたを必要としています。ですが、僕の他にもあなたを必要としてくれる人はいる。あなたは、その人の為にも生きるべきです」
「あなた以外に私を必要としてくれる人はいません」
「必要としてもらえるよう努力するんです。必要としてもらえるまで」
「!」
「あなたが決めた道を突き進んで、成功して、その上で認めてもらえるまで頑張れば良い。誰かに認めて欲しいと願うのなら」
「.....」
「ノリを貼られている姿を、胸を張って、両親に見てもらいましょう」
「いや、それは何か違くない?」
マメ先がツッコミを入れる。
「でも、私には無理です」
ココアがポツリと呟く。
「無理です、あの二人に認めてもらうなんて」
「無理かどうか決めるのは、あなたじゃないですよ。ご両親です。あなたなら、きっと出来る。なんせ俺を救ってくれたのだから」
「モカくん.....」
ココアが潤んだ瞳でモカを見つめる。
「私.....頑張ります。頑張るので、もし両親に認めてもらえたら、また、あなたに.....会いに来ても良いですか?」
「もちろん」
モカは微笑んだ。
「その時は、極上の珈琲でおもてなしさせて頂きますよ」
「必ず、会いに来ますから」
「お待ちしております」
見つめ合う二人を祝福するかのように、午前0時の鐘が鳴り響くのだった。

「あ、いつの間にやら閉店だね」
マメ先が暢気な声を上げる。
「てか、アタシの前でイチャイチャすんの、やめてくれる?いい加減キレるからね」
「心の狭いオバさんですね、まったく。俺は逃げませんよ」
「アホなの?次言ったら減給するから」
「うわー、パワハラだ」
「モカくんはセクハラだから」
「え、どの辺が?」
「自覚ないのが1番ダメなんじゃ無かったっけ?」
マメ先としょうもないやり取りをしていると、ココアがアハハとまた笑っていた。
「なんかお二人には敵わない気がしました。私が入る隙間なさそうですね」
「いやいや、そんなことないですよ。店員とお客で禁断の恋の蜜を味わいましょうよ」
「それ別に禁断でもなくない?」
モカのボケにマメ先がツッコミを入れる。
ココアは席を立つ。
「お会計いくらになりますか?」
「お代はいりません」とモカ。
「え?」
「お代は充分頂きました。あなたのその、笑顔です」
ドヤ顔で言っていると、マメ先に背中を叩かれた。
「いや取るから。マジで減給するよキミ。440円になります」
マメ先はココアに向き直り、完璧な営業スマイルを見せる。
お会計中もモカとマメ先は、お決まりの口喧嘩をしていたが、その様子をココアは微笑ましい様子で見ていた。
「じゃ、また来てね」
お釣りとショップカードをココアに渡すと、マメ先はニッコリ微笑んだ。
「はい」
モカを一瞥した後、ココアは踵を返した。しかし、ドアに手を掛けた後、一度後ろを振り返る。
そして、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
そして、頭を上げる。
そのときにココアが見せた笑顔を脳裏に焼き付けよう、モカはそう思った。
今日見たどの笑顔よりも、その笑顔は美しかったから。

お店から出た後、ココアはお店の入り口に立て掛けてある店名を改めて確認した。
『daybreak』
日本語で夜明けという意味。
思えば長い夜だった。
もう明けることはないと思っていたのに。死に際にふらりと寄ったこのお店で、夜明けを迎えることになった。
明日から....いや今日から新しい朝が来る。
希望の朝だ。
忙しくなるな。
そう思い空を見上げる。
「!」
見上げた空は薄明るくなり始めていた。
あれ?何で?
お店を出たのは0時の筈。まだ、真っ暗な筈じゃ?
しかし、スマホの時間は5時を指していた。
「何で.....?」
訳が分からず振り返ったが、そこには何のお店もなく、何もない崖とその先の海が広がっているだけだった。
「ど、どーいうこと?」
慌てて、先程マメコに貰ったショップカードを財布から探す。
あった。
内心ホッとする。
もしかしたら、死に際に見た夢だったのかと思ったから。身体が死ぬことを拒絶して、あんな良い夢を見せて生きる希望を見せたのではないか、そう思ったから。ショップカードがあって良かった。
ショップカードの表面をよく見ると、
『daybreak 〜あなたの夜が明けるカフェ〜』
そう書かれていた。
裏面を見ると、マメコが書いたのだろうコーヒー豆のキャラクターが書かれていた。そのコーヒー豆のキャラクターの吹き出しには、『次に会うのはキミが良い夢を見る時だ』
と書かれている。
ココアはクスリと笑みをこぼした。
「はいっ.....!」

ココアが帰った後、モカは店内の掃除をしていた。レジ締めを行なっているマメ先に話しかける。
「《《今回は》》崖に出現したっぽかったですね」
「みたいだね」
特別興味がある訳でもない様子で、マメ先はレジ締め作業を続ける。
「マメ先は、この仕事好きですか?」
その言葉で、マメ先は手を止める。
モカの方を見る。
モカも掃除の手は止めており、マメ先の顔を見ていた。
「さっきも言ったでしょ、好きだよ。ここは私の自慢の場所だから」


「たとえ、死にたい人が来る場所でも?」


モカの言葉にマメ先は表情を変えず答える。
「もちろん」
モカもマメ先の表情を、ただ見つめていた。
自分はココで働くと決めた3年前から、マメ先は変わらない。そして、この先も、きっと。
彼女との出会いが、自分に《《夢を見ること》》を諦めさせたのだ。


俺の夜明けは、まだ来ない。



ここはカフェ『daybreak』。
死にたい者の前に現れる、ちょっと変わった不思議なカフェ。
この物語は、そんなカフェで働く者たちと店員たちの日々の記録。
明日は誰の夜が明けるのか。

彼らの夜は続いていく。








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