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百人一首20年愛

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20年以上すきな百人一首を知り直すための個人的なnoteの仕舞い場所です𖡼
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95番 おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つそまに 墨染の袖

訳:身の程もわきまえないことだが、このつらい浮世を生きる民たちをおおってあげようか。この比叡の山に住みはじめたばかりの私のこの墨染めの袖で。 決まり字「おおけ」 幼い頃百人一首の漫画を繰り返し何度も読んでいたはずなのに、この句の訳をちゃんと理解したのは今日が初めてかもしれない。 あまり意識していなかったけれど、子どもの頃のわたしの興味を引いていたのは華やかな恋の歌や、同姓である女性の詠む歌だったんだなぁと思い起こしたりして。 それはそうとして、、 この歌の話に戻ります

96番 花さそふ 嵐の庭の雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり

訳:桜の花を誘い吹く嵐が、まるで庭を雪のように花びらを降らせているが、実は雪ではなく年老い古りゆくのはわたし自身なのだなぁ 決まり字「はなさ」 あらためてこの歌の一つ一つの意味やその現代語訳などを調べていて、なんと情景と言葉の対比の美しい歌なんだろうと。 幼い頃もただただ語感が好きだなぁと思っていた半面、あまり目立たない歌のようにも感じていた気がする。 花ではじまる歌といえば、小野小町の「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」の方が、子どもには覚

97番 来ぬ人を まつほの浦の夕なぎに やくやもしほの 身もこがれつつ

訳:松帆の浦の夕凪の頃に焼いている藻塩のように、いくら待っても来ない人のことを想い、わたしの身は恋焦がれているのです。 決まり字「こぬ」 権中納言定家は藤原定家のこと。 まさに小倉百人一首を選んだ歌人。 今回このnoteを書くにあたって100番(順徳院)99番(後鳥羽院)と遡ってきていて、 撰者の主君とその息子が最後におかれたこの並びと、 97番には撰者自身である藤原定家の句。 そうなってくると、この間に位置する98番目の句を詠んだ人物家隆とは…? というところに興味

98番 風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける

訳:風がそよそよと音をたて、楢の木の葉を揺らしている。 ならの小川の夕暮れはすっかり秋めいているが、みそぎの行事(六月祓)が行われていることだけが夏のしるしであるなぁ。 決まり字「かぜそ」 従二位家隆は藤原家隆のことで、後鳥羽院の時代の代表的な歌人とのことでした。 作者のことはあまり認識できていなかったけど、昔からなんとなく好きな歌。幼いながらに音の響きがきれいな句だなと思っていた。 夏と秋の境目、揺らいでいる季節 この時期は必ずフジファブリックの若者のすべてを聞くの

99番 人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は

訳:人が愛おしくも、人を恨めしくも思う。つまらない世だと思い、物思いにふけってしまうこのわたしには。 決まり字「ひとも」 色々調べてみたけれど、 二つの思うに複雑な心情が詰め込まれているようで、訳はとても難しかった… 後鳥羽院が33歳で詠んだとのことで、いまの自分とほぼ同世代のとき。 選者 藤原定家の主君である後鳥羽院の一首が99番、その後鳥羽院の息子の順徳院の一首が100番と並んでいる。 この並べ方、すでにぐっとくるものがあるけれど、もう少しこの時代のことを学んでさ

100番 ももしきや 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり

訳:宮中(皇居)の古びた軒から下がっている忍ぶ草を見ていて、しのんでもしのびつくせないほどに思い慕われるのは、古きよき時代のことだなぁ 決まり字「もも」 撰者である藤原定家が仕えた、後鳥羽院の息子順徳院の歌とのことで、これが100首目であることもきっと意味があったんだろうなと。詳しくは数多ある解説へ 幼い頃好きになった歌はどんなシチュエーションで詠まれたかなど調べてましたが、詠み人の背景を知らないものがまだまだあるなと…! 決まり字を覚えるとともに背景や歌人についても

百人一首20年愛、胸を張って趣味にしたい

20年以上前。 小学校低学年の頃に百人一首を覚えて以来、その後復習をするでもなく、なんとなく記憶したままに。 幼い頃、ただ夢中で遊んでいた百人一首が今でもだいすきです。 ツイート(ポスト)には、たまーにこんな感じで、ぽつぽつ書いています。 百人一首の漫画や本などを読んでいたため歌の背景を知るのがすきでよく覚えている反面、 いわゆる競技かるたとしての決まり字は一つも覚えておらず… せっかくなら決まり字も覚えておきたいな思いと、noteに記録を残しつつ学ぼうと思います。