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【午前十時の映画祭11】映画『グラディエーター』を観てきた【27分の26】

ごきげんよう。雨宮はなです。
今回は「ぜひ!一度スクリーンで観たかった」作品でした。セット、衣装、役者陣…どれをとっても贅沢で、気合の入った映画らしい映画というか、やはり歴史もので大作はスクリーン映えするものです。

※ここから先はネタバレを含みますので、ご了承いただける方のみ読み進めてください。

映像美と迫力

歴史ものなのにどこかファンタジーに思えるのは映像美と迫力のせいでしょうか。スクリーンに映る人の多さと戦闘シーンはもちろんのこと、道具や服の使い込みや建物の古さに表れる現実味が迫力を醸し出しているように思えました。

作りこまれた世界観と役をそのまま体現したような役者たちが揃うと、それはもう圧巻でどんなシーンも美しいと感じられました。王族の豪奢な服や部屋のセットだけでなく、ゆたかな畑も人で溢れかえる街並みも。主人公に降りかかる残酷な出来事のワンシーンでさえ、美しいのでした。

哀しきホーム・スイート・ホーム

脳に焼き付いて離れない、という人がきっと多いであろうワンシーンがあります。それは、ラッセル・クロウ演じる主人公への腹いせのために王子が彼の自宅を襲撃させ妻子を殺すシーンと、変わり果てた妻子を見つけた主人公が妻の亡骸のつま先にキスをするシーンです。

その後も何かの折にふれ、麦に触れながら家を目ざすシーンがフラッシュバックされます。最後の決闘後に同じシーンが青の色彩で流れたときは、「ああ最後じゃなくて最期なんだ」と悲しくなりました。

作品の最初から彼の願いはただ一つ、「家に帰って家族と暮らすこと」。それを現世で奪われるも、死後か来世での成就のために踏ん張る主人公を応援せずにはいられません。こんなに哀しいホーム・スイート・ホームはなかなか無いように思えます。

承認欲求と自己愛の暴力性

一方でホアキン・フェニックス演じる王子(のちの王)の承認欲求と自己愛の強さや暴走も見所です。非常にわかりやすい人間で、ただ父親に認められたい「こども」であって、姉に母と女を求めてしまう未熟で賢くない暴君です。ホアキン・フェニックスの精悍な外見が無ければ観ていられないキャラクターです。

FacebookもInstagramが無くても承認欲求の加害性は十分にわかります。自己愛的な人間が他人に暴力的な態度をとる、危険な人物になりやすいこともよく表れています。DVのお手本のような言動をとってくれるので、映画を観たあとは「こんな人には気をつけねば」とセンサーが働くようになるでしょう。

さいごに

『グラディエーター』は2015年頃に当時の職場の同僚に薦めてもらった作品なのですが、その人に心からお礼を言いたいです。さて、コロッセオはこちらのイメージの人も多いはず。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。

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