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情報に溺れたわたしたちを助ける映画『ミューズは溺れない』

ごきげんよう。雨宮はなです。
テアトル新宿で『ミューズは溺れない』を鑑賞してきました。
初日ということもあって、21時スタートという上映枠ながら多くの人で賑わっていました。
『PARALLEL』同様、スクリーン鑑賞必須な作品がまたもお目見えです!

長くて、たったの1年半待った、大賑わいの初日

初日は監督と多数の出演者が登壇する舞台挨拶がありました。
フォトセッションタイムや上映後のファンサービス(パンフレット購入者へのサインなど)もあってか、作品が気になっていた人だけでなく、お目当ての役者さんを応援する人が多くいたように思います。

舞台挨拶での監督のメッセージは心に来るものが多かったのですが、そのなかの一つが「たった1年半」というフレーズでした。
はやり病の影響で映画の製作が一時中断したとき、監督には「止めずに待つ、5年でも10年でも」という思いがあったそうです。
それが「たった1年半、待っただけでよかった」と。
この言葉をきいたとき、監督がこの作品を大切にしていることが特に伝わってきました。

軽やかですっきりとした「青春映画」

Twitterですでに発信した内容ですが、これは「青春映画」です。

「軽やか」という表現がぴったりでした。
だからといって「軽んじている」わけではないのがわかります。
全部、当事者たちからしたら大きくて重くて暗いもののはず。
それをあんなにも「軽やか」に提示できるのはすごいと思いました。
全く説教臭くなく、負だという押し付けもないのがまた素晴らしい。

ジェンダーに触れたり、未成年を主人公にもってくる作品は主張したい内容が前に出てき過ぎる傾向があるように思います。
大人が言いたいことを子供に代弁させるのが目的だったり、自分の辛さや理解しているという主張がまとわりつくようなかんじ。
それがあって、私はそういうものを扱う作品を苦手に感じています。

ですが、この映画にはそれがありません。
全てのキャラクターが「ひとりの人間として」大切に丁寧に描かれています。
“理解やデリカシーのない奴”も「そういう、ひとりの人間として」ちゃんと存在しています。
都合の良い環境が整えられるでも、都合の悪いタイプが攻撃されたり受難するでもなく、すべてのキャラクターが「ひとりの人間として」存在しています。

壊す、組み立てる、繰り返す

主人公は「昔から壊したり組み立てたり…そういうのが好き」だという設定。
作品中も、壊したり組み立てたりがあります。

対象や規模は様々。
積極的であれ、消極的であれ、必然的に起こったから対処しなくてはならないような無形のものまで。
彼女が「ひとりの人間として」自分を崩したり組み立てたりする様子を、スクリーン越しに眺める作品でした。

わかりやすいのは「船」。
そこに彼女がよく表れています。
ベースになっているのが、かつて自分が使っていたと思われるゆりかご。
そこに自分の部屋を基準に集めたパーツで船をつくるも、壊してしまいます。
その後、今度は家の中のものを集めて改めて船をつくります。
自分の部屋からでたパーツ(:過去)よりも、もっと大きかったり丈夫な素材で。
その様子はまるで主人公が「自分」という人間をつくっていく様子そのものでした。

映像だけでなく音楽の表現も面白かったです。
素材から出た音の組み合わせでできる音楽は、彼女の「ことば」と「考え」のようでした。

おわりに

この作品を初めて知ったのはTwitterに流れてきた投稿でした。
メインビジュアルにある二人の写真とセリフがずっと気になっていました。

「つまんない絵になるよ」
「それは私が決める事だよ」

映画『PARALLEL』を観に行ったときにチラシ配りをしていた『ミューズは溺れない』チームのみなさん(それも主役の上原美矩さん)からチラシを受け取り、前売り券を手売りしていただいて「初日に来よう」と決めました。

「遅い時間の上映だから、観に行けない」という人も多いと思います。
私も帰れなくなるかもなと思い、上映後ゆっくりするために近くに宿をとり、余韻をかみしめました。(他にも理由がありましたが)
映画『PARALLEL』もそうでしたが、『ミューズは溺れない』も宿をとってでもスクリーンで観てよかったと思える作品に間違いないです。
もし、帰宅や翌日に不安がある人は近くに宿をとってみるのはいかがでしょうか?

最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。


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