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「無形」であることの可笑しみと迫力 大磯の左義長

「人魚の肉、食べたか?」

祭りのフィナーレ、大活躍だった男衆にすすめられ、味も形も豆腐によく似たそれを口にする。

湘南発祥の地、大磯の左義長は、ただのどんど焼きではなかった。
ながーい棒を持った人たちが海辺にわらわら集まってきて、9つのサイトに一斉に火が放たれ大炎上、ふんどし姿の男衆は海に入り綱引きし、その後木ゾリに乗って引かれ唄い、最終的に豆腐…じゃなかった人魚の肉を食べるという奇祭であった。

セエトバレエとヤンナゴッコ

大磯町のホームページにはこのように由来が説明されている。

大磯の左義長はセエノカミサン(道祖神)の火祭りで、セエトバレエ、ドンドヤキなどとも呼ばれています。
由来は、昔この辺りで目一つ小僧と呼ばれる厄神が、村人のおこないを帳面に書いてまわっていたところ、夜が明けてしまい慌てて帳面をセエノカミサンに預け、そのまま帰ってしまい、帳面を預かったセエノカミサンは困り果て、自分の家とともに帳面を燃やしてしまいました。これがセエトバレエ(左義長)の始まりと言われています。

ちょっとわかりづらいので推測すると、目一つ小僧が村人の悪い行いを帳面につけて、その行いによって厄災を決めるが、その「ブラックリスト」を預からされた無関係のセエノカミサンが「え〜っ…!!」ってパニくって自分の家ごと燃やしてしまったということかな?
転じて無病息災のイベントになったのではないだろうか。

「家が…燃えちゃったんで…」
って伏し目がちで言われたら、
「…それは大変だったね、まぁ…気にすんな」
って許さざるをえないよね。

セエノカミサン、愛らしすぎる。

私なら中身全部読んだ上できっちり預かって目一つ小僧に渡しちゃうだろうな。歯向かうの怖いもの。

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集まって来たながーい棒を持った人たち、決起って感じで迫力ある。先に付いているのが団子でなければちょっと近寄りたくない雰囲気でもある。ちなみに駅前の店では棒がすでに売り切れていた。

18:30、大磯北浜海岸で9地区それぞれの9つのサイトに火が入れられる。

これが「セエトバレエ」。

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言い方悪いけど火事か暴動かレベルに燃え上がるさまはど迫力!!

近づいて夢中で写真を撮っていたおじさんたち火の粉で何人か服燃えてたけど気にしてなかったな…。

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燃えるダルマさんはチビリそうに怖い。

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火が長い竹の部分「おんべ竹」に届くと恵方の方向に倒され、どんど焼きタイム。

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燃えすぎないように銀紙でくるんでいるものもあって現代的。

縁起物もなるべく美味しく食べようという工夫、賢い。

この頃、海でも一大イベントが行われる。

木ゾリに載せた疫病神が押し込められた仮宮を、裸の若い衆が海に引き入れ、浜方と陸(おか)方に分かれて綱を引き合う「ヤンナゴッコ」だ。

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縄をぐるぐるに巻いてつくられているらしい仮宮は、陸に上がると壊され疫病神が退治される。

海に入る浜方の若衆は魚であるとされ、引き上げて豊漁を願うため必ず陸方が勝つように町民たちが加勢するらしい。

と、大磯町の紹介ではここまでしか書いてなかったが、ここからが最高にユーモラスで面白かった。

木ゾリに載った若い衆が疾走する

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!!

半裸の男衆が木ゾリに載って運ばれているっ!

先ほどまで勇ましかった男衆たちのファニーな姿は、私の中のセイノカミサン像にも重なる。

『フル・モンティ』的格好よさがある。

笑っちゃいけないやつかなーと思っていたけどみんなゲラゲラ笑ってたので、そういうことでいいっぽい。

数メートル止まっては伊勢音頭を唄い、これを繰り返して自分の地区の道祖神に向かう。

この日は予定より早く進んでしまっていたらしく、途中で電柱に縄を巻きつけ動けなくするまるでいたずらのような調整方法が取られていた。

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後ろで縄の速度を調整している、今年古希だというおじさんが教えてくれたんだけれど、130年使っていた縄が古くなり今年おろしたての「令和タイプ」のものらしく、「すげぇ、重ぇ」とのこと。

「持ってみなよ」ってなぜか2回持たされたけど、海水吸ってるし本当に「重ぇ」。麻でできているんだとか。

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結構長丁場で夫はうっすら帰りたそうにしていたけれど、なんだか無性にこの若い衆に魅了されてしまいストーカーのごとくゴールまで。

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この地区、「子(ね)の神」道祖神は住宅街のさらに細い小道の行き止まりにあり、こんな狭いところを入っていく。

最後はベテラン?のめっちゃ唄の上手いおじいさんが、今までとは違う唄でしめる。

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道祖神はこの右奥にいる。

朱の鳥居の奥に、無垢の木の鳥居が何本もあって面白いつくり。

興奮していてあまり気づいてなかったが、この段になるともう地元の方しかおらず、ちょっと場違い感あったのでではそろそろ…と帰ろうとしてたところ一升瓶が回ってきた。

夫が迷わず飲み干す。

ここで冒頭の「人魚の肉、食べたか?」につながる。

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ただ後々調べて見ると、人魚の肉をいただくのは2地区だけでほかの地区の人は「そんなことやってんの?」と知らない様子だったと書かれている記事もあり、「人魚の肉」という言説にいたってはどこにも見当たらない。

もしかしたら、豆腐(あ…もういいか 笑)振舞ってくれた若い衆のオリジナルジョークだった可能性もある。

こういう地区ごとのアドリブや、時代を経て積み重なったり変わったりしていくのが「無形」民俗文化財の魅力なのかもしれない。

伝承で伝えていく難しさや大変さはあるだろうけれど、現代ではなかなか見られない台本のないおおらかな人間の祭りは魅力的だった。

語彙が乏しくヒューマンエラーって悪い意味の言葉しか浮かばないけれど、その予定調和ではない「意図しない結果を生じる人間の行為」に人間の可笑しみや生命力が宿るようにも思うのだ。

町内各所に大竹やオンベ竹が立ったり、町内境に道切りのシメや大根の飾りがつけられたり、セエノカミサンのお仮屋に子どもたちが籠って遊んだりと、本番までのストーリーも興味深いので今度は前日にも来てみたい。

最高の漁師町エンタメに浸った夜だった。

国指定無形民俗文化財「大磯の左義長」を応援しています。

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