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チョコレートと訳の分からない情動

 2023年2月14日

 今日はバレンタインデー.思い返してみると,僕は本命のチョコレートを貰ったことは,ただの一度も,ない.義理のものや親からのものは貰ったことがある.でも,愛を記しているあのチョコレートを貰ったことは,ないのだ.

 もしかしたら,本命のチョコレートは普通のチョコレートと味が違う可能性だってある.渡し手の愛によって,本命のチョコレートは味が変わるのだ.みんな貰ったことがあるだろうから,「本命のチョコレートは味が違うよな」などと当たり前すぎて口出すこともない.

 いや待て,そもそも本命のチョコレートがあると全人類に嘘をつかれている可能性だってある.企業も巻き込んで,そういうものがあるとドッキリを僕に仕掛けているのではないか.僕を憐れな姿に仕立て上げようとしているのではないか.全ては,僕が本命のチョコレートを貰ったことがないことに起因している.

 高校生の時,僕は初めてクリスマスを女性と過ごすことになり,友達にどこに行けばいいか聞いたところ,サイゼリヤが良いと言われたので,馬鹿正直に五時間ほどサイゼリヤで過ごしたことがある.また,別の友達にどうやって告白すればいいか聞いたところ,メールが良いと言われたので,メールで告白したところ,返ってきたメールの件名のところに「ごめんなさい」と書かれていて,メールを開ける前に結果が分かったこともある.なので,恋心や愛というものに関して,何が本当なのかよく分からない.

 だから,本命のチョコレートは味が変わるのか,そもそも本当に存在しているのかどうかよく分からない.けれど,状況証拠から見て,愛で味が変わることはなさそうだった.嘘をつかれているわけでもなく,ドッキリでもなく,憐れな姿は憐れな姿のままであった.今,不可思議な文章を,訳の分からない感情で書いている.本命のチョコレートを貰ったことがない哀しみが僕を駆り立てている.

 柿田さんは,めちゃくちゃ貰っていたらしい.文字通りめちゃくちゃ貰っていたらしい.高校生の時,30個ぐらい貰っていたらしい.一日に学校の同じ場所にそれぞれ別の人から呼び出されて,チョコレートを貰ったことがあるらしい.なぜここまでして,"らしい"と強調しているかというと,僕はそんなことが現実にあってたまるかと思っているので,柿田さんの妄想だと勝手に思っているからである.

 いや,ここまで,本命のチョコレートを貰ったことがない,本命のチョコレートを貰ったことがないと喚いてしまったが,実は僕は別にそんなに欲しいとは思っていないのではないか.衝動で文章を連ねてしまったが,別になきゃないで生きていけるし,自分の文章を見て,なぜこんなにも衝動的に文章を作ったのだろうかと思っている.ああ,そうか,バレンタインデーだからこんな文章を書いたのか.ただそれだけか.なるほどなるほど.あれ,うーん,でもなんだか,どこーか,どこーか,踏ん切りのつかない変な感情がある.小さい小さい火種だけれど,指で押したらぷちゅっと潰れちゃいそうだけど,何かが心の中にあるみたい.これは何なのだろう.え,嘘.本当に悲しんでるの,僕は本当に悲しんでるのかい.だめだよ,悲しんだら,本当に悲しんでしまったら,君はただの,ただの憐れな人になっちゃうよ.ああ,だめだ.もう,だめだ.

 「すみません,本命のチョコレートって,甘いのですか,僕は本命のチョコレートを,食べたことがないので,味が全く想像が,つかないのですが,もしかして,甘酸っぱかったり,しょっぱかったり,愛の種類によって変わったりしますか,そもそも,本命の,チョコレートって,存在しますか,あなたは,貰ったこと,ありますか,貰ったチョコレートは,どんな味,でしたか,貰った愛は,本物,でしたか,僕は貰ったこと,がない,ので分からない,のでどうか,教えて,くだ,さい」

 東京都,JR中央線三鷹-荻窪間の線路沿いにて,バレンタインデーである2月14日付近になると,銀色のチョコレートの包み紙をたなびかせながら,ゆらゆらと徘徊して,見つけた人間に本命のチョコレートについて問いてくる化け物が現れるとされている.


 ちなみに今年は新井さんのお母さんからチョコレートを頂いたので,それを食べながら,バレンタインデーの夜を過ごした.


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