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眼鏡、破壊、再生、また破壊

  2022年2月18日

 小学四年生の秋頃から,眼鏡を掛け始めた.

 当時,DSでずーっとポケットモンスターをやっていたので,そのせいで目が悪くなってしまったのだ.外が好きだったこともあり,DSも外でやっていた.

 初期の眼鏡の形は,レンズは長方形で,黒ぶちのフレームだった.眼鏡を掛けるだけで,ものすごく頭が賢そうに見えた.親にもそう言われた.

 眼鏡になってしまったことを機に,DSをやめたのだが,その分野山を駆け回るようになったので,高頻度で眼鏡をぶっ壊していた.何回目かまでは自分の手で修理するのだが,徐々にぼろぼろになっていき,ちょっとした衝撃で顔からずり落ちたり,階段からかしゃんかしゃんと落ちていったりするので,修復不可能となり,買い替えていた.現在まで,おそらく20個以上は買い替えていると思う.


 最初の破壊は,眼鏡を買って二か月過ぎたあたりだった.公園のターザンの器具に乗っていた時だった.友達に押してもらったうえで,自分でもかなりの勢いをつけて,ターザンに乗った.友達みんなの前で英雄になりたかった.

 そして,一番端に到達した際,慣性の法則でターザンがぶらーんと大きくブレながら揺れた.そのブレのせいで,そのまま左右に伸びていたターザンを支える柱に顔面を強打した.こめかみあたりがきらきらと鳴った.物理的に考えて,鳴るはずのない場所から鳴るわけがない音を聞いたのは後にも先にもこの経験のみである.そして,むくっと起き上がることはできたが,顔面が火照っていた.眼鏡を見ると,鼻あてが左右におっぴろげていた.顔には鼻あてが触れていた部分に沿って,赤い傷がついていた.家に帰って,手でゆっくり鼻あての形を戻した.

 また何ヶ月が過ぎ,家の近くの空き地で鬼ごっこをしている時だった.鬼に追われて,逃げ場が無くなり,2 m程度の段差から大きく飛び降りた.そうして,着地の際,自分の膝が自分の眉間付近を直撃した.頭の下向きの力と,膝の上向きの力がぶつかり,凄まじい勢いで頭から後方にぐいんと吹っ飛ばされた.ぺがぅと鳴った.それはぶつかった音なのか自分の口が発した音なのか分からなかった.

 しばらく空を眺めていた.大丈夫?という声がどこか遠い砂漠からの呼ぶ声のように感じて,聞こえるというより,耳に入ってくるという感じだった.滲むぼんやりとした雲の動きから,眼鏡を掛けていないことに気づき,おもむろに眼鏡を探し始めた.あった.ただ,フレームの右側の耳に掛ける部分が完全に折れていた.どうやら眉間の右側寄りの部分にぶつけたらしい.ふらふらした足取りで友達を置いて家に帰った.とんでもなく怒られた.母に.罰として,当時ケーブルテレビのアニマックスで放送されていた「ジャングルの王者ターちゃん」を二度と見てはいけないことになった.でも,父は優しく,彫刻刀とドリルを駆使して,フレームに凸凹をつくり,瞬間接着剤でつなぎ合わせてくれた.

 しばらく,そのぼろぼろの眼鏡を使っていたが,授業中に突如として,鼻あてが折れて,眼鏡がどう足掻いてもずり落ちてくるようになってしまったので買い替えた.

 またある時,放課後,友達とラグビーをやっていて,もみくちゃになった.そして,誰かの動かした足が僕の眼鏡に命中し,フレームが真ん中から折れてしまった.ドラゴンボールのスカウターが2つできた.その日は,家庭訪問の予定があったが,僕はそれをすっかり忘れており,先生がいる前で,家で母にめちゃくちゃに怒られて,「もう情けないよ」と言われた.本当に申し訳ないと思う.その眼鏡もしばらくはセロハンテープでくっつけていたが,妹が好奇心から僕をエアガンで狙撃して,眼鏡のレンズに当たってひびが入り,使い物にならなくなった.

 他にも,部活中に飛んできたサッカーボールが顔面に当たって,眼鏡が華麗に飛んで行ったこともあった.また,大きな石が二つ,鉄パイプが一つあったので,大きな石の上に鉄パイプを置いて,シーソーのようにし,地面についている方に石を乗せて,鉄パイプの端を踏んで,てこの原理で石を飛ばそうとしたところ,踏んだ鉄パイプが勢いよく起き上がり,僕の側頭部を直撃して,眼鏡が吹っ飛んだ時もあった.そんなこんなで買い替えた次の日に,部活のメニューで二人一組の馬飛びをやって,僕が馬になった時,友達の左足が直撃し,眼鏡のフレームが折れたこともあった.


 こうして振り返ってみると,小中学生の時,派手に壊している例が多かった.ただ,高校に入っても,派手に壊したことが一度あった.

 朝,学校へ向かう途中,自転車を漕いでいた.時分は春であり,花粉がひどかった.目が痒くて,ふと目をかいたところ,そのまま眼鏡が僕の腹,サドルを伝って落ちていった.あっと思った時には遅かった.ぺきゃんと鳴った.急いでブレーキをして,眼鏡を落とした付近に走って戻ってみた.綺麗に後輪で轢かれて,潰れた眼鏡がそこにあった.どうやって生きていたらこんな目に遭うんだと自分の境遇を呪った.潰れた様は紛れも無い僕の姿だった.無様.でも,仕方ないから,眼鏡をポケットに入れて,学校へ向かった.恥ずかしいけれど,眼鏡がないと黒板が見えないので,先生にこっそりセロハンテープはないかと聞いた.そうしたら,大声でクラス中に,

 「桑田(僕の事)さんが自分の眼鏡を自転車で轢いてしまって壊してしまったみたいです,誰かセロハンテープは持っていませんか」

と言った.なぜ僕は正直に壊した理由まで言ってしまったのか,恥ずかしいと感じていたのに.馬鹿正直なとんちき野郎の自分に腹が立った.これ以降,この先生を信用することはなくなった.


 このように僕の人生は,眼鏡の破壊とともに進んでいった.大学に入ってからも,台風の日に風に吹かれようと思い,一人で草むらで遊んでいたら,暴風雨に眼鏡が巻き込まれてどこかへ旅立ってしまったが,数日後にその草むら付近で傷だらけの僕の眼鏡を発見した「奇跡!眼鏡との邂逅」などもあった.

 そして,直近の話.ライブが11時入りで,起床すると10時過ぎで寝坊した.その日はライブ後,次の日のライブのネタ作りのために,そのまま柿田さん家に泊まる予定だったので,使うかもしれない小道具を持って行かないといけなかった.なので,獅子舞を入れたキャリーケース,ライブの衣装,竹馬を抱えて,急いで家を出た.

 中央線の電車に飛び乗る.ハッと気づいた.その日は吉祥寺駅で乗り換えないといけないので,快速に乗る必要があった.でも僕は,中央快速に乗ってしまったのだった.この電車は吉祥寺には止まらない.汗まみれで大量の荷物を抱えて,満員電車で揺れている顔面蒼白の僕.心臓の音が近くなる.もうバグバグ鳴る.どうしよう.どうしよう.遅刻に次ぐ遅刻.その時だった.荻窪通過付近だった.ばぃいーん.まぬけな音を立てて,眼鏡の右レンズが吹っ飛んで行った.

 眼鏡は焦っていないようだった.いつも通り,僕の顔にかかっていて,なんとなくレンズを飛ばしたようだった.なにが?という雰囲気だった.既に真っ白だった頭に,さらに白が塗られていく.もうレンズがどこに行ったのかわからない.そもそも何をすれば良いのか分からない.ライブ会場から遠ざかっていく.生からも遠ざかっていくような気がした.手足が痺れて,震えていた.吐き気がした.ふと何か硬いものが手首に触れていることに気づいた.触ると,服の外側に折った袖口にレンズが引っかかっていることを確認した.不幸中の幸いという状態だったが,感覚的には,不幸のままだった.それでもレンズを抱えて,中野駅で降り,しばらく休んだ.深呼吸して,再び電車に乗り,ライブ会場へ向かった.結局,10分程度の遅刻で済んだ.眼鏡はどうやらレンズを止めているフレームのねじが外れて,レンズが旅立ったようだった.そのねじも同時に旅立ってしまったが,そちらは回収不可だったので,その眼鏡はお役御免となった.


 かなり長くなってしまったが,これが僕と眼鏡の歩んだ人生である.


 ちなみに,母も眼鏡なのだが,当時4歳だった妹は,母の眼鏡を自分の腹に無理やり掛けて,マジックで顔を書き,腹踊りをして,母の眼鏡を破壊した.その後のセロハンテープで繋ぎ合わせた眼鏡をかけた母の姿は,今でも脳裏に焼き付いている.

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