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冒険心と人情で"0円起業"した話し

先に伝えておきます。

今、流行りのネット起業ではありません。

泥臭くたくさんの人と会い、昭和人情で場所や店舗を資本金ほぼ0円起業した話しです。

よく、お金がなくて彼女ができない、行動できない、起業できない、何もできない、、、と言われますが

断言します。 できます!!

しいて言うなら仕事、寝る時間以外で1時間つくることです

情熱があれば、お金が無くても出会いはできるし、起業はできます。

レベル1からの装備品

とにかく歩くこと

企画書

熱い気持ち

コミュ力

バカにされ勉強のできない奴なんです~

ぼくは中学はオール2、なんとか高卒です。

言われたことしか、やれないタイプの人間で

まともに勉強したことは20代半ばまでないですし

なにをやるにも効率悪いし

人の話しを聞けない、覚えられない、周りに流されやすいですし、遊んでばっかでお金もない。

そのくせ口だけは一人前で、世界を変えるとか、夢だけは熱く語る典型的な痛いやつでした

周りからはそれでって感じでしたね~

でも夢を語れると、彼女はよくできますよ!

SNSやクラブでナンパした女の子と仲良くなり、夢を熱く語ると、なぜか、お嬢様だったり、水商売やってたりする子は、特に応援してくれたんですね~

あっどうでもいい話しです!

夢が現実に変わるきっかけ

人生の変わるきっかけは一人旅に出たことが始まりでした。

それまでは飲食店で週6日、1日14時間の労働を3年やり、心身ともに疲れ仕事を辞めました。

幸いなことに、休みなく働いたので、お金は貯まりました。

なのでテレビで憧れたビーチボーイズみたいに、海を目指し

海=沖縄みたいな感じで、旅を始めました。

明日は何をするか考え、楽しいことを探し、自分から何をするのか決め、行動することで、

一人旅はとても充実したんですね~

当たり前のことですが、ぼくにはこれができていなかったんです。

自分で考える事の楽しさ、行動する楽しさは、

自分の道を作り、進んでいくことだと理解したんです。

冒険ですね~!!

旅で色々なバックパッカーと情報交換をしていると、ある沖縄の離島がいいと聞いたんです。

現在はないですが、当時は沖縄本島から離島をいくつか経由する客船があり、翌日には離島行きの船に乗りました。

当時の船旅は安く、沖縄本島から離島へ行く敷居が低かったです。

船が離島に着くなり、早朝にもかかわらず、港には人がたくさんいました。

物資の運びの為の人たちや、ゲストハウスの勧誘の人たちでした。

そこに、ボブ・マーリーみたいなゲストハウスの方から、

うちの宿はオーシャンビューだよ~と誘われます。

一泊2000え~ん

ここに決めました!

そして、気が付くとそこは海とお酒と人しかいない楽園だったんです~

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初めての起業?いやチャンスです!

ゲストハウスで寝泊まりを1ヶ月ほどしていた時に、お店のオーナーからこんな話しを頂きます。

ゲストハウスのヘルパーやらない?? 宿代いらないから

ぼくは宿がタダになるって最高じゃ~ん

と即答でやります~と答えました。

そのノリがウケたのか、オーナーから下の庭に小屋があるんだけど、好きにやっていいよ。

とお話しを頂きます。

一人旅をする前まで飲食店でバーテンダーをしていたので、すぐに小屋を飲み屋にすることにしました。

翌日には小屋の清掃をして準備を始めると、ゲストハウスで仲良くなった仲間達が集まり、Barを一緒に作り始めたんです。

仲間のおかげで、3日間かけてお店できました。

ヘルパーをやる3ヵ月限定でしたが、barをすることができたんですね~

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少ない時間でしたが、お金や社会とはかけ離れ、何にも属さず、

本当の自分に向き合えたことや、ありのまま自分でいれたことが今に繋がっています。

自分らしさ、が強みであり、大切なんだと理解しました。

半年間を沖縄にいて78万円のお金ができました。

旅はいつのまにか、リゾバよりいい仕事で、最高な遊びにもなりました。


マネーの虎みたいな企画なのに、0円起業になる

沖縄から帰ってきて、バックパッカーロスに陥りました。

体が社会を拒否し、頭が空っぽになりました。

自分が何をしたいのか考え、少しだけお金もあったので、人や社会や環境の役に立ちたいと考えていました。

情報を探していると、アメリカの社会貢献プログラムを知りました。

直感でこれだ!と感じ

すこし貯金もあったので受講することに決めました。

正直この経験がなければ一生、非正規雇用で何もできないまま人生終わっていましたね~

そのくらい人生舐めていましたし、ここで勉強や経験したことは、何をするにも基礎になっています。

プログラムの受講中にアイデアが止まらくなり、ぼくは仲間たちの力をかり企画書を作ります。

しかし企画を作っても、人脈コネなしなので、SNS、市役所、商工会議所、自治体等、様々な人に会いにいきます。

そして出会った方からの紹介で、とあるカリスマOO師さんと出会います。

そのカリスマ〇師さんは、

ストリートから己の腕一つでカリスマになった方で、興味を持ち話しを聞いてくれることになりました。

ぼくは企画を持ち込み、麻布にある指定された場所に行くと、

扉ではない、扉が開き、隠し部屋に案内されます。

そこにはマネーの虎みたいなセッティングで目の前に3人のあきらかにオーラの違う、偉い人が待ち構えていました。

当時、6枚のプレゼン用紙を配り、15分ほど企画の話しをしました。

カリスマOO師から言われた言葉は、企画は分かった、

できることからやってみろ!

それって路上で周りの人にやれってことですか~?

みたいな感じで始めます。

ぼくは食の企画プレゼンをしたので、まず地域の食材を使い、社会貢献を目的に、路上で売れるワンハンドで食べる商品を作りました。

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歩いている人たちに目的を話しながら売ることを始めたんです。

1ヶ月、毎日歩いて人に売り、街中で色々な人と出会いました。

商店街と自転車屋のオヤジさん

そして、ある商店街にたどりつきます。

そこはシャッターが7割閉まっている商店街で、空いているのはごくわずかでした。

商店街を歩いていると、電気の点いていない自転車屋の前で掃除をしているオヤジさんに声をかけられました。

君、なにやっているんだ? いつも箱をもって歩いているけど

ぼくは、今までの経緯を話しました。

食で社会貢献したいんですと話すと、おじいさんは言いました。

昔、ここはたくさんの人が行き来する場所で観光バスがくるくらいだったが、

開発でメイン通りが変わり、いまは幽霊商店街になってしまったんだ。

食で地域貢献したい想いと、商店街をまた盛り上げたいと思う、

自転車屋の店主だった、オヤジさんとの出会いから話しが弾みました。

いつか自転車屋で自分のお店を開業したいと話しました。

しかし自転車屋さんには厨房設備がない。

もしここをやるとなると改修費用がかかります。

最初は自転車屋の横の空いているスペースでテントを張り、テイクアウトのお弁当屋をスタートしました。

行動力 ー 知識不足 = 力不足

ことがうまく進んだと思い、カリスマOO師に報告します。

すると

それ、すぐにお金にならないよね? なんで相談しないの? 

お客がいるとこで、やらないと意味ないよね? 

自分でできるなら、僕たち必要ないよね?

と見切られてしまいます。

今になってわかりますが、お金を出すということは、利益が相手にあってのものです。

相手が金を出すだけなら、銀行に行けって話しなんです。

そしてオヤジさんとの約束は、お店を改装してやりたいと話していたので頓挫してしまいます。

自転車屋での開業は難しいと話しをするしかありませんでした。

切りのいいタイミングで辞めることを話しました。

この地域は、夏になると有名な花火大会があり、幽霊商店街も活気が溢れます。

花火大会が最後の営業になり、自転車屋と屋台を盛り上げようと、オヤジさんは言ってくれました。

花火大会当日は自転車屋も屋台も盛り上がり、屋台に人が集まり、オヤジさんも電気をつけて手伝ってくれました。

とてもいい夏になったと言ってくれた自転車屋のオヤジさん

と同時にこの時は本当に自分が情けなかったです。

この後の話しになりますが、ぼくのコンテンツが周りに評価された時、最初に報告に行きました。

オヤジさんがとても心配し、また頑張れよと声掛けして頂きました。

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