※2024年4月16日の日記。『本に関するエトセトラ』


※今日本屋に行ったら『岩波文庫』コーナーが丸ごとなかったのに驚いた。
何回も売り場を回って調べてみたが、やはり『岩波文庫』が取り扱わなくなったようだ。
何となく『岩波文庫』は本屋の顔的存在だと思っていたので、無いと少し落ち着かない。
古本屋にも足を運んだが、古本屋の方が岩波文庫の種類が豊富だった。

※ここ数日間、体調不良で身体を休めつつも部屋にある本の選定をしていた。読まない本はまとめてひもで結び、売れそうな本は紙袋に入れていたら、漫画本だけで50冊くらいあっただろうか、漫画本は思い入れのある作品以外なら手放す事に抵抗はないのだが、問題は小説だ。
読むスピードが遅いのにも関わらず新しい本を購入してしまうので、
小説の選定は遅々として進まない。
前々から本を購入するスピードと読書スピードが全然あってない自覚もあるが、購入した本の全てに私の意志が反映されていると思うと、読まずに捨てる事ができないのだ。
小説は文庫本が大半なので漫画本に比べればまだ管理が出来る状態なのが唯一の救いだ。
定期的に自分に対して「背伸びして購入した罪と罰や老子、学問のススメは読むのか?」と問い詰める時もあるが、答えはいつも同じ「読む。」の一言だ。
本棚にあるという事は、いつでも読む体制が整っているという事でもある。あの本を読みたいと思ったところで、手元に本が無い時点で貴重な読書タイミングを無駄にしてしまう可能性だってある。
本は手元に置いておくのが鉄則だ。
今、ふと本棚を見ると『アランの幸福論』という本が目に入った。
過去の自分がかなり無理して購入したであろう『幸福論』だ。多分、読むと思う。

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