日記を売ります。
「エッセイ書いたことないけどエッセイ書いてみたい!」と思った次の瞬間に「エッセイってほぼ日記なのでは?」と思ってそれをインスタグラムで言った。そしたらいろんな人からいろんな反応をもらって、その中にひとつ、こんな連絡が。
「日記いいよね、最近、日記本専門のお店とかフェアとか作家さんよく見かける!」
し…知らない…
先の発言がいかに思い立った瞬間のものだったか。
『みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに』
という一冊を教えてもらって、翌朝すぐに買いに出かけた。
これを手にする前から「よし、日記を書いて売るぞ」と決意していて、よくもまあそんな浅はかなと自分で自分につっこみを入れたから、買った。
本屋の下の喫茶でそれを読む。
読まなくてもいいけど、影響されてしまったそのタイトルについてちゃんと知ってから公開することにしよって決めたのだ。
読み始めてすぐ、えぇ〜それやんってなる。
わたしが書いたんか?と思った。
著者はコロナの世の中にいてそう書いているけれど、わたしはわたし自身に対してそう書く。
たとえば2月29日の日記
とはじめて、以下に続く。
わたしを見失っていた時間が過ぎ去ったことを示した記録が、この日の日記なのだ。
書いていればその渦中のことをあとから目視できるし、書いていればそこから脱したわたしを誇らしく感じられる時間が生まれることだってある
そういうわけだ。
まあ所詮は何の気なしの日記で、誰かに言うほどでもないけれど確かにそう思ったと書き留めただけのやつ。
だれがお金払って読むんだろうと思うけど、誰一人にお金払って読んでもらえなくてもわたしは痛くも痒くもない。
そりゃそう
だって日記だもの
エッセイストというひと、わたしにもなれるだろうか。
読んでもらうことと誰かのどこかに残ることを試してみたいと、はじめます。
誰かに自分の日記を読んでもらう事、正直まだピンときていないのだけど、覗いてみたいと思ってもらえたらそれはきっとわたしの価値になる。
覗いてみたい!の表現として記事を有料にします。
わたしの日記が、わたしの生きる価値のひとつになるかもしれない。
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