ぐらしあすの「天皇即位祝賀パレード」

ぐらしあすは主に雅子さんの表情や振る舞いを見ていた。
長い間「適応障害」という診断で公務をできなかった事を考えると、今日の雅子さんは「目も笑っていてごく自然体」であったように思う。

無理くり笑顔を作ろうとすると、あのような表情はできない。

また、パレードという大舞台。
緊張は半端ないと思う。

ぐらしあすは雅子さんが好きというわけではなく、「よく本当に頑張っているな」という思いで見てきた。

皇室という世界で、自分の自由に生きることができないだろう。

ちょっとハワイに旅行に行ってくるとか、お腹がすいたのでコンビニに行ってくるなんてこと等ができない不自由。

我々が日々ごくごく普通に行っていることができない。

一般社会でいうと、夫婦仲が悪くなりもう離婚をするとか、今勤めている会社に納得が出来なくなり、退職をするなんてどころの問題をはるかに超えている。

自分の行いが地球上の全世界に知れわたる。

この重圧(プレッシャー)はもう完全に計り知れない。

そして男児を生まなけれべならないという宿命。

その宿命を全うできなかった。

そんなことはどうでもよいとぐらしあすは思っている。

母子ともに健やかであれば申し分ない。

そう考えると、新天皇もこれまでよく雅子さんを守り続けてきたと思う。

おそらく雅子さんは寛解はしていても、完治には至ってないのではないだろうかと思う。

どこかしら以前に比べてふっくらした容姿。
元気が出てきて、ふっくらとしてよかったなと思う人も多いと思うが、ぐらしあすは「抗うつ剤の影響」かとも思う。

皇室と言えども同じ人間。
今後また苦しくなったら、少し公務を休んだり、入院したりすればよいと思う。

ある意味スクープの材料にされそうな問題だが、そのあたりは、国民皆が「そっとしておく」ということによって、雅子さんはまた立ち上がっていけるのだと思う。

これから先も公務は長い。
苦しくなったら一般市民と一緒でSOSを出してくれればいい。
誰もそれをとがめる人はいないだろう。

天皇制については中立性のぐらしあすはそう考える。

ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。