ぐらしあすの「森田療法の神髄について①」

森田療法に関しては過去ログに記述しているが、ここでもう一度振り返ってみたいと思う。
森田療法の神髄は「あるがまま」という言葉に集約される。
この「あるがまま」が難しい。
ぐらしあすは入院森田療法を受けて25年が経つ。

「あるがまま」と言う言葉が、歳を重ねるごとに、こういう意味だったんだと、その解釈を自分自身の中でアップデートし続ける。

まず、入院森田療法を受けたく病院を受診した。
しかし、入院できるのは3か月待ちだとのこと。

当時は森田療法が、神経症治療の専門療法であると認識され、森田療法を受けたい人が次から次へといたのである。

ぐらしあすは、職場の上司に相談をして仕事を休ませてもらい、3か月後に入院森田療法を受けることとなった。

飛行機で羽田に着いた。そこから鉄道の路線図を見るが、横浜まで行くのにこれがなかなか難しい。結局乗ったのは相鉄線であった。

現代では森田療法については賛否両論があるが、こと心因性による精神疾患については森田療法から学ぶことが多い。

入院して最初に待ち受けているのが「絶対臥褥」。
人によって一人部屋になるか二人部屋になるかの違いはあるが、ぐらしあすは一人部屋だった。「絶対臥褥」とは、部屋の電気を消してカーテンを閉めて、1週間を臥床したままで過ごす。

食事とトイレ以外は臥床し続ける。

最初の2日間ほどは、日常の忙しい毎日から解放されて、寝たいときに寝て、自然と起きる。このことは日常の生活の苦しさから解放され、精神的にとてもレスパイト出来た。

ぐらしあすは、主治医から薬の処方の提案をされたけれど、薬は必要ないと服用しなかった。

さて、「絶対臥褥」を始めて、早速心的変化が始まった。
レスパイトを実感できた後、することが、臥床すること以外は何もなく、退屈極まりない苦しみが始まった。

主治医の指示を守り臥床し続けた。
3~4日目くらいから、何もすることがなさ過ぎて、退屈極まりない状況の中、何回も時計を見ては1~2時間ほどしか経っていないという、実時間より感覚時間が長すぎる。することがないので自分で一人しりとりを始めたが、それはすぐに終わってしまう。
そこで、英単語しりとりを始めた。結構頭を使うもんである。

6~7日経つと、廊下から聞こえる靴の音が、ぐらしあすが「絶対臥褥」から解放される時かと期待をするがそうでもない。

当然風呂も入っていなくて、ひげも剃っていない。
たばこ吸いたいけど吸えない。
ただひたすら我慢をするだけ。

この「絶対臥褥」は臥床したままで何もできないので、森田療法で言う「生への欲望」をかきたてるためのことなのである。

「絶対臥辱」して7日が過ぎようやく解放された。

まずは最初に風呂に入る。
ようやく何もしないという苦しさから解放された。
久しぶりにタバコを吸って頭がクラクラした。

「絶対臥褥」に耐え切れず、途中で自己退院する人もいる。

この「絶対臥褥」から解放されて、約20名ほどの、森田療法グループに歓迎されるのである。

ようやく一息付けた。これから入院森田療法の実践が始まる。

続く。

ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。