ぐらしあすの「精神障害者の立食パーティーについて」

精神障害者は立食パーティーで料理の前から動かない人が多い。

それは何故か。
年齢を重ねても、立食パーティーで、自分で料理や飲み物を選んで、参加している人たちと、人を変え場を変えという交流を楽しむということが難しい、というかそのような内容を知らない人が多い。
社会性の欠如という言葉は確かに正しいとは思う。しかし、精神障害者を支援するPSW側にも問題がある。PSWだけとは言えず、広い意味で支援をする人々のことも指す。
例えば、イベントを行う場合、それを仮にクリスマス会とすると、あまりにも子どもじみた内容を考える。プレゼント交換をして、ビンゴをして、ケーキを食べるという風に、まるで幼い子を相手にするがごとく、そういった内容のものがまかり通っているように思う。
支援者が常に肝に銘じておくことは、障害者は障害者である前に一人の大人であり人間である。それであれば、大人に対応するような大人のパーティーというものを企画するほうがベターであると思う。
支援者主導型ではなく、共同型であるほうが好ましい。
そういったイベントは支援者が用意するものではない。
支援者が提案もしつつ、共同で企画して作っていくものである。
それこそ、支援者側が障害者に対して、「出来ない、無理」という思い込み、つまり、意識外に潜む対等目線の欠如ではないかと思う。

ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。