マガジンのカバー画像

海外でのモデル経験

43
海外の事務所にどのような経緯で所属したのか、オーディションや外国人モデルとのシェア生活のエピソードなど、赤裸々に話しています。所属し活動した/しているのは、ニューヨーク、シンガポ… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

終わりは自分で決める

コロナが流行ったことで、今回数年ぶりに訪れることとなったNY。「実年齢なんて関係ない」そう思ってはいるものの、自分のこととなるとどこかで揺らいでしまう瞬間もあり、アメリカ出発前は、年齢を重ねた私に向こうで需要があるのかと、不安ばかりが募っていました。 モデルの寿命は短い。始めたときによく言われた言葉です。そもそもモデルになるのも大変で、さらにはこの仕事で食べていくのも大変なのに、寿命も短いときた。それでも、選んだからにはやるしかない。 そんなふうにやってきたモデル業ですが、

選んだ道を正解にする

モデル業をしていると、いろいろな人に会うことができます。それは、毎回違うメンバーと仕事をするから。ご一緒したことのある人がいる時もあれば、現場によっては全員初めましての状態からスタートすることもあります。 そういった環境にいるモデルにとって、再び同じクライアントから呼ばれることは、ものすごく嬉しく、光栄なことです。けれど、その"リピート” は、決して容易には叶いません。私がそのことを身をもって実感したのはNYでした。 ◆帰る度に、やり直し今回3年半ぶりにNYに来ていますが

モデルになって捨てたもの

求められる場所で頑張りなさい。この言葉の意味を、モデルになってから身を以て実感しました。 そもそもモデルを目指そうと思った当初は、パリコレに出たい!ただその一心で頑張っていたように思います。けれど私のモデル人生では、意識すればするほど「パリコレ」の文字は通り過ぎて行きました。 ◆1度目のチャンスはNYで私が初めてその舞台に近づいたのは、NYコレクションの最中。NYの街中を1日10本ものキャスティングを抱えて歩き回る中、事務所から突然「今からここに行ってほしい」という連絡を

失敗を失敗にしない。必ず成功に導くモデルたち

以前、撮影での苦い経験談はお話ししたことがありますが(まだ読まれていない方はぜひこちらから→note「現場が凍りつきました、、、attitudeって何?」)、ショーモデルとしても多々あります。 今月3月はちょうど日本で「東京コレクション」と呼ばれるファッションウィークが開催される時期。ということで、今回はそんなランウェイの裏側で起こった数々のハプニングについてお話ししたいと思います。 ◆気合いで乗り切ったラストルック今やSNSでもよく見かけるようになった、モデルがショーで転

とても小さくて、物凄く大きな一歩

私がモデルとして初めて海外に挑戦したのは、シンガポール…ではなくて、実はパリだったのかもしれません。 かもしれないと書いたのは、まだモデルとしてきちんと活動できていなかった学生のときに、度胸試しとして行ったものだからです。たった8日間。けれどあのときに起こした行動が、モデルとしての小さな一歩であるとともに、大きな意味を持ったものだったのではないかと思います。当時の情景は、今でも私の脳裏に焼きついています。 ◆何一つ準備せず飛び込んだモデルをやるならパリコレ。始めた当初に私

NOと言う勇気を持つ

AMIは写真が撮れない モデル事務所のオーディションに受かり、所属時の面談で言われた言葉は今でも覚えています。 悔しい…そう思うや否や、負けず嫌いな私のやる気に火がつきました。そこから、怒涛の写真作りが始まります。 今回は、そんな新人時代から取り組んでいるテストシュートについて、撮られる技術向上のためにやっていたこと、取り組む中で感じた不安や恐怖、今まさに感じていることについてお話しします。 ◆真似したものに価値はある?テストシュートをするにあたってまず最初にしたのは

もっと、自分本位。

NYにいたとき、ハプニングは常につきものでした。そしてそれに付随する「ごめんなさい」という謝罪の言葉。 日本とは異なる環境の中で、本当に発するべきときとは?外国人が頻繁に言わないのはなぜ?度重なる出来事の中で、いつしかそんな疑問が大きくなっていきました。 ◆”私のせいじゃない”けど…8月下旬のNYFW直前のこと。朝から何本ものオーディションをこなし、その日一番モデルが集まるであろうオーディションの列に並んでいたときの出来事です。 私が受付に行くと、受付済みのモデルはすで

自分を止めているのは自分

やりたいことがあるなら、ときには周りに反対されても、一度は自分の意思に従ってやってみる。そのことで得られるものが必ずあると思っています。 「モデルとしてどこか海外でやってみたい」始めた頃に漠然と抱いていた想いは、幸せなことにNYの地で叶うこととなりました。 しかし、叶ったと同時に待っていたのは、選択の日々。毎日が決断の連続でした。果たしてこの決断は合っているのか、悩みすぎて辛くなることもありました。今回はその中でも、日本とNYを行き来していたことで起きた、特に印象に残ってい

代わりがいないということ

モデルは意外に体力勝負。毎回場所も人も異なる現場に、不規則な就労時間。そんな環境の中で、常にベストな状態でいることが求められます。 どんな職業もそうだと思いますが、モデルにも代わりはいません。一度決まった仕事は、余程のことがない限り延期することはできず、這ってでも行かなければいけない…今回は、そんな責任の重さを痛感したエピソードです。 ◆真夏から真冬へ。全員が発熱9月末、まだまだ暑さが続き半袖で過ごすことも多かったNY。そんな中、オーストラリアへの出張が決まりました。

他人が気にならなくなったとき

私がnoteを書いているのは、モデルをやっている人に「そんなことで落ち込まなくていいんだよ。自信を無くさなくていいんだよ」と一言声を掛けたかったことに端を発しています。 こんなことを言ったら、上から目線に思われるかもしれない、、そんなことが頭に過りつつ、これが私の本心でした。 私自身モデルとして過ごしていく中で、何度も自信がなくなるような出来事を経験しました。そんなときには、周囲の人が話してくれる体験談や、そこから紡ぎ出される言葉にいつも助けられていました。お陰で「そこまで

とことん楽しむと世界は広がっていく

NYで初めて髪色を染めたことがありました。染めても茶髪くらいしか経験のなかった私が突然の、レインボーカラー。今回はそんな貴重な髪色になって過ごした数日間のお話です。 ◆レインボーカラーのマッシュルームヘアカラーをした理由は、お仕事でした。内容は、NYでは名の通ったヘアサロンの広告撮影。サロンに所属する各ヘアスタイリストに1人ずつモデルが割り当てられるというスタイルで、私の担当はオーストラリア人の陽気な男性でした。 彼との初顔合わせは撮影の2日前。この日は準備日として設けら

眉毛がもたせてくれた自信

何か1点、自信を持てるものがあれば変わってくる。私にそれをもたらしてくれたのは、眉でした。ブリーチして黒からハイトーンの金色へ、いわゆる"眉なし"状態の時期がありました。今回はそのときのお話です。 ◆きっかけは海外での作品撮り実は、日本でモデルの眉をブリーチすることは、気軽にはできないと聞きます。 理由としては、肌の弱いモデルだと荒れてしまったり、なんとブリーチを施した人が元の色に戻すのを忘れて帰ってしまったり、そうかと思えばモデル自身がその状態を気に入ってしまい「戻さなく

期待外れの結果が、私の土台を強くする

私がモデルの仕事をするようになって経験したことの中に、とてもショックを受ける出来事がありました。 それは、仕事をしても必ずしも世間に公開される・自分の目で完成品を見られるとは限らないということ。 仕事の上がりを見ること、さらにそれが良ければ自分のBOOKに入れることを何よりも楽しみにしていた私は、公開されなかったこと(つまり、お蔵入りです…!)に何度も落ち込む経験をしました。 例えば、撮ったけど最終OKが出なかったとか、急遽何か変更があったとか…色々な事情があるのかもし

現場が凍りつきました、、、attitudeって何?

忘れもしない、帰国直前のNY撮影。 この頃、ショーやスチールの撮影が多かった私は、日本でもほとんど動画撮影に参加する機会がありませんでした。そんなとき、まさかのNYでその機会が巡ってきたのです。 ◆容赦ないスチール撮影モデルはレディース3、メンズ3の計6人。スチール、動画の両方がありました。 スチール撮影では、まずそのうちの5人が呼ばれて撮影(え?6人で撮るんじゃないんだ?と結構驚きました)。センターとなるモデル2人は決まっていたようで、それを囲む3人は並びのバランスを見な