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写真で嘘をついてみた

とても小さいけれど、「日本カメラ」8月号に写真が掲載された。
同誌が毎月募集しているコンテストのWeb部門で入賞したためだ。

昨年の4月に亡くなった身内の一周忌で集まった親戚たちが、式がはじまる前にくつろいでいたところを撮った。
タイトルははじめ「一周忌」とシンプルなものにしようと考えていたが、無難すぎて選ばれないと思い、亡くなった側からの目線を想起させる「私のすべてが死ぬのではない」という意味深なものにした。

審査員の方のコメントにも「意味深なタイトル」と書かれた上で、「演出されたものではなく、本当にそういう瞬間なのだろう。」とされていた。


が、これは半分正解で半分違う。

写真のどんよりした雰囲気とは裏腹に、実際はまったく違った状況だった。

カメラの後ろでは子どもがおせんべいを食べながら走り回っていたし、写真に写る親戚たちも他愛もない世間話をして待ち時間を過ごしていた。どちらかといえば、葬式ぶりに集まって「元気?」「ぼちぼちよ」「腰が痛くて」「私もよ」なんて話している感じだ。

ついでにいうと、式が終わった後のお昼ご飯中はずっと笑ってた。
なんならすべて終わって解散したあと、私は教会に行って建築を楽しんだりもした

そういうわけで、この日撮った写真は笑顔のものが多い。

掲載された写真は悲しい瞬間に見えるけど、実際の空気はまったく違う。
1枚でわかる写真はすごいけど、それが真実かどうかは見ただけじゃわからない。自分で撮ってはじめて写真は嘘をつけると自覚した。


そんなわけで、見た人にドッキリを仕掛けたいと思って写真を応募しようと思い、メッセージ性の強い写真だからそういうのが好まれる雑誌にしよう、と「日本カメラ」を選んだ。

なんだかんだ言って、こういう風に応募して選ばれたのは初めてだったりするので「わーい」と思う反面、もっといい見せ方ができたんじゃないかと悩んだりもしてる。

どちらにせよ、自分にとってよい写真が撮れてよかった。


この写真を見た誰かが「重い」とか「暗い」とか思ってくれたら、ドッキリ大成功ってことで嬉しい。
ただ、もちろん人が亡くなったことは悲しいし、1年経った今だって故人を忘れた日は1日もない。


いつか自分も死ぬけど、あれもこれもすべて丸ごと残して誰かに伝えられたらいいのに、と歯がゆい気持ちになることがある。

だから、「私のすべてが死ぬのではない」と思えば少しは気が楽になる...といいな〜


#写真

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