救いを求めていた

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かなしみが空に浮いている
私は彼が過ぎるのを待った

とおせんぼした本当のこころは
今も 古びた朝顔の鉢の底

理由をたった一つだけ話すなら
根差す喜びがなかったからです

養分を受け育って消える
自然の報いもなかったからです

育ち盛りの枯れた花世に
何を想ってやればいいのか
何を講じてあげればいいのか

とんとわからぬ莫迦な私を
草葉のかげが守ったようです
彼の世の船が運んだようです

流れ流れた常世の水が
僅か こびり付く泥を祓いまして

私は今 まっさらな腕の中

かなしみが空に浮いていて
私は其をひたすらに見ていた

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小学校に入ったばかりの頃
朝礼で校庭に立たされながら空を見ていて
「なんでここに来たんだっけかなぁ」と思ったのを、やけに覚えているんですよね。

私は小学生の頃は記憶力がそこそこある方で、しかも音声情報強めの映像記憶でした。記憶力があるというか、より正確に言うなら「忘れられない」体質でした。
ついでにおまけに、世界に恐怖し、絶望する子どもでした。
隣の家のおばちゃんが子どもを叱る怒鳴り声とか、うちの父親の人を蔑む響きの声だとか、学校の先生の子どもを馬鹿にしたみたいな声も、そりゃあ強く強く私を蝕みました。

深くまで勝手に入り込んで、小さなきっかけで何度でも蘇る。とても疲れました。

小学生の頃は地獄にしか思えなかった世界が、別に違う惑星に移住したわけではないのに、今ではなかなか居心地良く楽しい世界であることは面白い。

ただ、時々、私はあの頃の自分を置いてけぼりにしてはいないだろうかと考えるのです。
あの頃の私は、楽しくやるようになった私のそばの片隅で、蹲って、未だに膝を抱えて泣いているような気がする時があるんです。

だから、よく見てやって、気にかけてやって、抱きしめてやりたいけれど、全てを共有している私たちだからこそ、「わかってやれない」ことがあるのが申し訳ない。

私は悲しくて悔しいばかりの人生を辞めました。自然と。
自然とだったからこそ、その移行はグラデーションで、徐々にあの頃の私のつらさがわからなくなっている。
「ごめんね」と思うのです。

でも、今の私があの頃の私に合わせるのも違うと思うんです。ええ。
だって、今の私が、あの頃の私には想像もできないほど軽やかに気軽に広く楽しく豊かに自由になったことこそが、あの頃の私にとって一番の救いだとも思うんです。
未来の自分が、今の自分では想像もつかないくらい幸せになってたとして、今の私の苦労をわからないやと言ったとして、そう言われたら「よかった!」って笑うような普通の人間だと私は私を思っているんです。
でもまぁ、私の原点だから、振り返ってやりたい。

過去に囚われるのはナンセンス! と思ってはいるけれども、まぁそれでも、何度でも噛み締めて愛してやりたい。
些細なことに喜べるのも、なんかまぁ適度にゆるゆるできるのも、運がめちゃくちゃいいのも、あの頃のあの子がその時の役目を担ってくれたからこそでして。

私はこの数十年の間に、何回も生まれ変わっているような気がしているんですよね。
この数十年しか生きてないのに、500年前にも生きていた気がするし、日本に産まれて以来行ったこともないデンマークやノルウェーの夢や写真を見て「もう一度、あの空気を吸いたい」と思って泣いちゃう。

私はどこまでが私なのかよくわからんのですけれども、確実に私という自我はあるし、その自我を通して認識する世界や自分に、結構かなり愛着がある。

私の人生は地獄から始まるパターンだったのに、いつの間にやら地獄の泥を洗い流されると、なんだか思い出せなくなる景色があります。

それでいいのかな。

まぁ結局、人間、今しか生きられないのだし。

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