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いつからだろう。相手の全てを知りたいと思わなくなったのは。

20240218.

先日、会社の人からお手紙をもらいました。大人になると手紙をもらう機会が減ってしまうけれど、やっぱり手紙っていいなあって。私は手紙を書くのがすごく好きなのだけど、もらうのもやっぱり、嬉しかったです。

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大平 一枝『ただしい暮らし、なんてなかった。』

相手のすべてを知らなくていい。
自分のすべてをわかってもらおうとしなくていい。
寄り添っていさえすれば、気持ちは同じでなくてもいい。そう思ったら、ずいぶん心が軽くなった。

いつからだろう。
相手の全てを知りたいと思わなくなったのは。
知らないことがあっていいと思えるようになったのは。

気付いたら、そうなっていたのだけれど、思い返せば、明日が今日よりも生きられないと気付いたときから1日1日を大切に過ごすようになって、他人を気にする時間が勿体なくなって、私は、どうしたいか、私は、どう思うか。そんな、『私』の気持ちを大切にするようになった。ときには、他の人の生き方の良いところを私も参考にしたり、取り入れてみたりしているけれど、真似をしすぎたり、羨むことをしなくなった。

相手の全てを知らない方が、自身の心のバランスが保たれると気付いたし、知らないことがあるからこそ、その人を知りたいと思えた。

そして、相手が誰と仲良くしていようと、何をしていようと、その人がいいと思ってしている行為だから、いいじゃない。そう思うようになれた。その人の行う行為全てがその人を作っていて、私と会っているときのその人が、今のその人の全てだと。そう気付けたことも、きっと大きい。

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そんなように、他人は他人。自分は自分と、割り切れるようになったのは良かったのだけれど、私の思いを正面から伝えると「それは違うと思う」と言われることも増えて、私の見ている世界を、私の見たいと思う世界を、笑われることもあって、心が傷つくことも増えた。

自分の軸ができた代わりに他の人と意見のすれ違いが増えたのも事実だけれど、様々な意見を知ることで、学んだことも多かった。
全てのことを、ストレートに言葉に置き換えても伝わらないことの方が多くて、何を伝えて、何を伝えないか。その見極めが必要だった。伝えるにしても、言葉にすることが全てじゃないと、学んだ。伝えるときも、相手が考える余白を残して伝えることも大切だった。

著者の大平さんの言うように、私もよく思う。
気持ちは同じでなくても、受け入れてもらえなくても、寄り添っていさえすれば、理解さえすれば、いいのになって。互いにそうあれたら、どれだけ優しい世界になるのだろうって。

ただしさなんて、どこにもないのだから、相手の全てを知らなくても、相手の全てを受け入れなくても、ただ、相手の心に寄り添えられる人でありたいと。そう思った。

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休みの日、友達と出かけることになったので、初めて、食べてもらう用にお弁当を作りました。
相手に喜んでもらえたり、私が作った物で少しでも心がほころんでもらえるって、とっても幸せだなって、改めて思えた瞬間でした。

たっぷりのお野菜たちで



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