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011 黒スーツの正体

事務所を抜け、先にある小さな部屋に通された。

「お座りください。」

そう言われ、僕は一礼して座った。

「履歴書をお持ちですか?」

封筒に入れてある履歴書を渡す。

面接の回数からいうと、この温泉地のホテルの面接で三回目の経験になる。
初面接は例の温泉旅館、そして次がIT関連の会社。

その時から漠然と、こういうことで人を判断したり、自分たちの組織へ招き入れるかどうかを考えるのが、非常に不思議だった。

いくらだって嘘はつけるし、逆にその人が持っているポテンシャルも全部が見抜けるわけない。それに、口が達者な人は、また別のリスクがあるはず。

当時はこういった風に具体的に考えたり感じたりしていたわけではなかった。でも、なんとなくおかしいな、という風には感じていた、と思う。

面接は、あの温泉旅館の担当者と同じような感じで、特にどうということもなく進んでいき、最後にどういうキャリアを望んでいるのか質問された。

キャリア……

ご飯が食べられて、住むところがあればそれでいいと思っている奴に、キャリアプランなどあるはずがない……僕は正直困っていた。

おまけに当時の僕は、人としてあるべきいろんな経験の記憶が抜けていた。

「そうですね……。こちらのような環境での就業は初めてなもので、実のところ具体的にイメージができないでいまして」

みたいな感じで、正直に話したと思う。すると黒いスーツの支配人は待っていましたと言わんばかりに話し始めた。

「確かにリゾートホテルは、通常の就業環境とは違います。でも、せっかくお越しになるのだから、最初は小さな部署の責任者になってもらって、そのあとは、リーダー、マネージャーといった具合にキャリアアップを……」

話を聞いていて、親身になって話してくれていると感じた。これは今いろんなことを知って思い返しても、同じように思う。どういう風に仕事をしていけば、どんなふうにつながるのか。その先に何が広がっているのか、そういう話が続いた。

この経験は、この後、僕の人格形成に大いに役立つことになるのであった。


面接が終わり、解放された。

夕食までの間、僕はホテルの温泉に入った。温泉ももちろん初体験だ。

その時は、大きなお風呂とお湯。それが珍しいだけだった。馬鹿野郎である。

温泉が終わると、夕食会上に足を向けた。豪華なビュッフェが用意されていて、どれだけ食べてもいい、というのにも驚かされた。

食事会場にはピアノの生演奏のサービスがあり、初めて目にする楽器とその音色にしばらくぽかーんとして見とれていたのを覚えている。「お客様、大丈夫ですか?」とホール担当の係に声をかけられ我に返ったのだった。

この時食事が初めておいしく思えた。

食事を終え、部屋に戻る。

もう僕はここのホテルで働こうと決めていた。向こうもそのつもりだった。だが、ここで思いもよらぬ展開が待ち受けているのだった。


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