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鍵っ子のわたしを助けてくれた粉ミルク

グーグルマップのストリートビューで、25歳まで住んでいた公務員の合同宿舎(団地)を発見しました。

わたしの住んでいた棟の前まではマンションになって、既に取り壊されていましたが、わたしの住んでいた棟は築50年以上なのに、いまだに現役で頑張っているみたい。

2歳から25歳まで住んでいたので、懐かしさも感じました。

父は当時の労働省(現在の厚生労働省)に務め、ハローワーク関連の仕事をしていました。

神奈川県内の異動のみだったため、定年直前までずっと住み続けることに。

合同宿舎なので、向かいの部屋は労働省でなく、総理府(現在の内閣府)の方が代々住んでいました。

転勤がある家庭も多いようで、お隣さんも数年で入れ替わっていました。

小学校になると、母は父の意向でパートに働きに出ることに。

わたしはいわゆる鍵っ子で、メーターボックスに置かれた鍵でドアを開いて、家の中に入ってました。

そのころは学童保育もない時代だったので、家でひたすらテレビを見る、または、押し入れに電気ストーブを持ち込み本を読んで、母の帰りを待っていました。

運動好きな子は、団地前の道路でバレーボールをしたり、はないちもんめ的な遊びをしたりしてましたが、内向的なので、その輪には加わらず。

低学年のころ、家に帰ってきたら、メーターボックスに鍵が置かれていなかったことが何回かありました。

多分、それでお隣さんに入れてもらったんだと思います。

自分からチャイムを鳴らした記憶はないので、お隣さんが気づいてくれたのかな。

お隣さんは、まだ小さい赤ちゃんがいる若いお母さんで、わたしがねだったためか、赤ちゃん用の粉ミルクをなめさせてくれました。

今となっては、赤ちゃんの粉ミルクを奪ったようで、ひどい話だと思いますが、甘いもの好きな子どもにとっては、とても幸せな体験でした。

当時は、いちごにかける練乳も、チューブから直接なめたくなるほど好きだったな。

粉ミルクは、1回だけでなく、その後、何回かいただいた記憶があります。

父の実家のお金関係で、暮らしが豊かでなく、お菓子もあまり出してもらえなかったので、本当にありがたかったです。

別に上司と部下の関係でもなく、ほっておくこともできたと思うのですが、とても親切な方で、旦那さんが出張の途中で購入されたロシアみやげのお人形をいただいたこともありました。

わたしは当時のお隣さんの年齢をとっくに過ぎてしまいましたが、今でも家族や友人以外の方を家に招き入れ、何かを食べさせるという経験はしたことがありません。

お隣さんといえば、その後に引っ越してきたのは、同学年の女の子がいるご家族でした。

その日もメーターボックスに鍵が置かれていなくて、途方に暮れ、お隣のチャイムを鳴らしたのだったか。

3階だったのですが、窓に鍵をかけていなかったので、狭いベランダを渡り、彼女がわたしの家のドアの鍵を中から開いてくれました。

運動音痴だったので、とてもわたしではできず、本当にすごいなと感心しました。

ちゃんとお礼言ったのかな、今となってはすごいことを頼んでしまったものだ。

学校では集団いじめ(みんなに無視されるなど)に合っていても、家族以外に助けてくれた方の記憶によって、わたしは多少の自己肯定感を保つことができたのかもしれません。

人は1人で生きているようだけれど、いろんな支えがあって生きているんだな。

もう連絡の取りようもないので、直接お礼は言えないけれど、フードバンクに余った食品を寄付することなどで、間接的に他の方の役には立っているのかもしれない。

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