noteはじめました🧸

はじめまして。あみめろです。

私がTwitterでフォローしている人の中で
(フォロワー多い方)このnoteという機能を使用している人を最近よく見かけます。
私はその人の日常や、どこにもぶつけられない感情が書き綴られているのを見て、こういう風にどこかにまとめて吐けるっていいなって
思い、はじめてみることにしました。

遅れましたが、私の自己紹介をしたいと
思います。ちょっと長くなります。
(文章読むのは好きだけどまとめるのって難しい。これから上手くなっていけるといいな。)
私は専門を卒業し、就職を気に神奈川に一人暮らしをていました。職業はパティシエです。
名前を聞くだけで誰もが知ってるし、割と憧れられる職業。私もそれが誇らしかった。

専門学校で、この業界でやっていくことの大変さとか、いろいろ学んで心構えはしていたものの、実際やってみるとやっぱり辛かった。
何が1番辛いって、シェフからのパワハラ。
朝6時から夜8時まで働く(日によって時間は異なるが。)ということですら辛いのに、、
でもそれくらいやってやろう!!と学生の頃は意気込んでいました。
日に日に朝起きるのが本当に辛かったし、
自転車で通勤してる時に、このまま車に轢かれて事故にでもあえば仕事行かなくて済むし
入院とかになったらいいのになーと思うようになりました。
昼休みはお弁当食べながら1人で泣いてました。食欲もないからもちろん全部は食べきれないのだけれど。
昼休みが終わって厨房に戻ったらまたシェフからの罵声を浴びせられるのか、あのギョロっとした目で見られると何も言われてなくても責められている気持ちになる。それくらいの視線?見方?で見てくる。こちらのことを人間だと思っていないかのような目で見られるのだ。

そして私はもともと、持病があった。
甲状腺の病気でバセドウ病だ。
今はもうほぼ治っていて、薬は飲まずとも
病院は定期的に行って経過観察といった所だ。
この病気は専門学生時代に患った。
そして月経困難症とPMSも持ち合わせていた。
これには高校生の頃から悩まされていた。
だが、こういった病名があるということを
当時知らずにただの生理痛だと思っていた。
病気であると知ったのはこれもまた専門学生
の時であった。産婦人科では低容量ピルを処方されたものの、副作用で毎日吐き気、だるさ、精神的不安定になった。効くものが無くただただ毎月来るものを耐えるしかなかった。
学校を休む日も多かった。

こんな感じでまあ、もとから体が強い方ではなく、繊細でとてもめんどくさい体である。
そんな奴がパティシエなんて体力的にも
無理であった。もともと神経質な性格だから
精神的にももたなかった。

たった2ヶ月で仕事は辞めてしまった。
辞めたあと、田舎の実家に戻ることもできた。
でも自立したい!という思いが強かったため、田舎には戻らず、神奈川に残ってアルバイトで生活を繋ぐことにした。

だが、それも20日で(勤務日数としては10日)
辞めてしまった。
なぜなら、私の精神は前の会社で完全にやられてしまっていた。何をするにも怖かった。
不安だった。1人でいるのも耐えられなかった。
本当は出勤するはずだって日の朝、前日一日中ただひたすら泣き続け、過呼吸になり、それが朝になっても収まらなかった。そんな状態で
もうどうしようもなくなって、助けを求めて、母に電話をかけた。もう自分でも、
「あぁ、どうにかなっちゃったんだな」
って思った。母と話して実家に帰る事にした。
もうその日のうちに数日は暮らせるように服と、その他必要なものをキャリーケースに詰め込んで泣きながら電車に乗った。
電車に乗って時間が経つと見慣れた景色が
見えてきてさらに泣いた。
実家の最寄り駅について父が迎えに来てくれて
顔を見た時にはまた泣いた。
とにかくずっと泣いていた。
涙が止まらなかった。1週間くらいは
実家の自分の部屋のベットで泣いていた。

少し落ち着いた頃に心療内科に行った。
病名ははっきりとは言ってくれなかった。
けれど、しっかり聞かなければならなくなり、(そのことについてはおいおい話しますが。)
父がついてきてくれて先生に聞き、

『適応障害』と診断された。

精神安定剤と睡眠導入剤を処方してもらった。
最近は夜さらに眠れなくなってきているので睡眠導入剤を少し強いものにしてもらった。
効果があるのかどうかはよくわからない。

実家に戻ってきてからは、日中は大好きな録画しておいたドラマを見るか、読書をしているか、飼い猫と戯れているか、寝ているか、だ。

仕事?そんなのまだできるわけない。


今の私はそんなところです。
自己紹介、長くなりました。
こんなの読んでくれる人いるのかな?
いたら嬉しいな。

それでは✺⋆*

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