(記録)入学18ヶ月目

 新しい仕事でいろいろと休日やら何やらが潰れてしまい、こちらの記録も1週間ばかり遅くなりました。毎月月末日に書くように心がけていたのですが。レポート関連等を全部放擲してしまったので、9月は以前に受講申し込み済みだった文芸の作家研究の土日スクーリングのみでした。
 読み込む時間もさほど取れないなか、『銀河鉄道の夜』『春と修羅』の二稿と三稿を比較し(『春と修羅』は初稿も)、その変遷から宮澤賢治という作家が作品をどう変化させ、それにはどのような意図が込められていたのか、そういったことを読み解いていこうという講座です。どちらの作品も非常に大きく変化していて、受ける印象が様変わりしていることがわかります。ちくま文庫の宮澤賢治全集買っておいて良かった。一般的に作品として知られているのは三稿版ですね。杉井ギサブロー監督のアニメ版『銀河鉄道の夜』もこれに則っています。
 宮澤賢治研究では切っても切り離せない宗教観などは、多くが門外漢の学生間の議論ではあまり深入りせず、専らもう少し表層的な死生観や自然と人工との関わりの変遷を追っていった感じです。時間があれば事前にこのあたりは掘り下げておきたかったですが、とてもそのような時間もなく、その点がいささか心残りですが、講義そのものは95点と高得点で単位が降りたので良しとします。

 さて講義は講義として、今更ながらに思ったのは、私は自分が思っている以上に大学を楽しんでいるんだなという点です。仕事が変わってレポートに取り組む時間も取れず、講義に臨むにあたって先行研究論文に触れる暇も無く、下手したら休学せざるを得ないのでは?というような状況になってしまっており、諸事悩ましいところです。仕事は事前に相当時間が取られますよとは聞いていたものの、この状態が一定長引きそうなことも相まってどうしたものかと頭を抱えたりもしています。人生一回目の大学生の時はろくに講義にも出ずレポートも出さずよく卒業できたものだと思いますが、変われば変わるものですね。いまや講義に万全で臨めないことにストレスを感じるとは。
 もう一点は相変わらず本を買い込んではいるのですが、まったく読む時間を取れていないので、そうでなくても積む一方の本がさらにいっそう積むだけになってしまっていて(これは私自身の問題もあります)、書き物の手もすっかり止まってしまっている問題があります。物を読んだり書いたりという行為はそれとしてとても心身に余白がないと進まないもので、物理的時間もない、心身の余白もない状態だととても手に付くものではなく、これも今更ながらに気づいたのですが、結構ストレスになっていと思います。読みかけの本の続きが気になっているのに宙ぶらりんというのはやはり気もそぞろです。どうしたものやら思案が絶えません。

 月も改まってしまったので今月ですが19ヶ月目は、19ヶ月目にしていよいよレポートにも着手しなければ講義もない状態になりました。20ヶ月目、21ヶ月目も同様で(レポートは今から着手してもこの状態では到底間に合わないというかそもそも仕上げられないので強制見送りで)、次の12月年末の講義まで何も無いということになります。講義ももっと取りたかったし面白そうな芸術学舎の講義もあったのに。ということは当然に卒業に必要な単位なども予定から大幅に遅れることになりますので、順調だった1年目とは大きく変わってしまいます。もちろん在学期間は延長できるものの学費はかかりますし、社会人大学生としては学費を稼ぐために働いて、同時にしっかり励んで両立するということが必須要件になるわけですが、この状態はいささか本末転倒感もあり、他の社会人学生の皆様はどうしているのか、本当によく両立されているものだと思います。

 もともと安定や順調といった言葉とはほど遠い人生を歩んできているので今更いろいろあったところで驚くことでもない身ではありますが、また近いうちにいくつか重要な選択をしなければならないことになりそうだと感じています。秋は秋晴、秋麗などと言いますが、どうも秋湿りな今日この頃です。

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