演出する。

 今年はなぜか舞台に出たり、演出したりということが続きました。もともと、演劇が好きでした。中学生のときに地元の少年王者舘やてんぷくプロ、維新派などのボランティアスタッフをやったりしてました。『ガラスの仮面』がバイブルだったし、まあ、一番の影響は有頂天が好きで、ケラの『健康』から『ナイロン100℃』のせいでしょう。バンドブームが終わり、小劇場ブーム、お笑いブームでしたから、尖った表現や面白いものが好きでした。わたしがいちばん文化的なものに救いを求めていたのは高校生のときで、そのときは自分が何かを作る人間にまわるなんて思ってはなくて、いや、真似事のように声のパフォーマンス、ライブもはじめたけれど、名古屋にいたときに一緒にやっていた人には評判が最悪でしたが今思うと、それは嫉妬だったのですがそれがなんなのか当時の自分にはわからなかったです。声の表現を続けて行こうと思ったきっかけは足立智美さんに褒められたのと大友良英さんに評価していただいたことが10代のわたしには強い動機になりました。感謝しております。

 演劇から入って、そこから物語性のあるものにたいするなんだかよくわからない必要ないんじゃないのか、とか、演劇特有のお約束みたいなものとか、会場から漏れる他人事のような笑い声(これは今でも苦手です)が耐えられなくなり、もっと、身体的な表現のみを見ていたい言葉は要らないという気持ちが強くなったのです。それからは舞踏やダンス、映画をよく観るようになり、現代美術に興味が出てきて、学校もデザインの専門学校に進みました。16歳のときに名古屋のテレビ塔の下で、学生服のままパフォーマンスを演ったのは今思うと目眩がするくらいの行動的な向こう見ずな、若気のいたりなんですけど、今、わたしが高校生であったならもっと話題にはなっただろうという気がします。その場所には蝦蟇の油売りが毎年、やってきていました。小学生のわたしは蝦蟇の油売りの人が日本刀で腕を切り、そこに塗った蝦蟇の油で傷口が癒えるのを見て、傷が消えたことを周囲の人に報告するというサクラのようなことを、なんだかさせられていました。興行が終わったあと、蝦蟇の油売りの人はわたしにありがとうと言ったのでした。お嬢ちゃんのおかげで、よく売れたよと言われてうれしかった記憶だけあります。高校生のわたしはその後、2回全裸のパフォーマンスも行ったのですが、まあ、草間彌生とか、オノヨーコの影響を多分にひきついでいたわけですが、若さを見失っているような、どこか稀薄な存在を見せつけるようとする簡単な自傷行為のようにも思えます。おかげで、ストーカーに遭いました。

 まあ、そんなふうに人前でなにかをする、ということにかんして、実は自分がそれを演じる、ということにはさほど興味はないのですが、なぜ、音楽、即興演奏に向いたかというとそれはなんだったんだろうかなあとは思いはじめているので、いま、書き出してみました。

 わたしの考えなのでほかの人とは当てはまらないかもしれないですが、今年、3回、演出ということをしてみてわかったのは、演出とは演者が動きやすいようにものごとを置いて行く作業の積み重ねではないか、ということです。そのひとがそのひとらしく、そのひとのいちばん美しいかたちを提示する手助けがわたしがやりたい演出なのだというわけです。だから、出演者とコミュニケーションがとりたいし、ふかい、言葉をやりとりしたいと思うのです。わたしはびっくりするほど、人が好きらしいです。人を好きな自分でなくては自分を許せないということもある。その人がその人のありのままであることがいちばん美しいと思う、少女マンガ脳です。すべての人間が無理せず、自分の描く想いのままの姿で暮らせることが幸せだと思っています。

 タイトルに縛られて何から書けばいいのかわからなくなってきました。ほんとうはどういう演出を自分がしたのかを告白していこうと思っていたのですが脱線がすぎました。

 まあ、とにかく楽しかったんですよ。3月に映画『みずち』のために、8月に大谷能生との朗読デュオでの『デジタルディスクレシア』、11月に大橋可也さんのダンス公演『テンペスト』と3つもやりました。あ、明確な演出は最初の2作品だけなのですが、舞台に出るということで、わたしの中で何かが変わったのは確かでした。オリジナルの作品で何度も遂行しながらいまだに完成稿ができあがらない、大谷さんに言わせればこのたのしい作業を永遠に続けていたいというような気分にさせられる小説をもとにしたのが8月の作品でした。このひとと作品を作りたいというメンバーがそろい、わたしはいいのかな、このひとに頼んでいいのかな、失礼じゃないかなとかまごまごしているところを、能生がてきぱきと決めて、かたちにしてくれるという、まあ、いつもの、といえばいつもの、わたしの我が儘を最大限に訊いてくれたことを恥ずかしがって感謝しないで、無礼になるというのがたぶん、わたしの一番良くないところです。ちゃんとありがとうとか言った方がいいと思うので、こんどあったらビールくらい奢ろうと思います。

 素材を料理すること、おいしくすること、そのために手間ひま惜しまないこと。それが演出だといいました。違いますか。間違いを正すのはいつでも遅くない。自分ではまだよくわかりません。何が正しいのかとか。何が間違っているのか。できれば誰も傷つけたくはありません。でも、こうしてほしいという欲望はあるのです。そういう気持ちを持つこと自体が我が儘だということもわかっています。それでも、あなたにはこういうふうに振る舞って欲しい、あなたのこの姿がみたい。そういうことを思ってしまうことが演出家には向いているのかなとか少し思って、自分を誇らしげに思ったりします。間違っていたらお詫びして、訂正します。

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演出する。

吉田アミ

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吉田アミ

ヨシダマガジン

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