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そなえあれば。

ある日突然、各SNSの投稿に画像が読み込まれないという現象が起きた。
サイトの不具合かアプリの不具合か、はたまたネット環境がおかしいのかと色々調べたが原因不明。
気にしながらも、SNS業務と息抜きを終えればオフライン作業に没頭してしまう為、深く考える事はしなかった。

数時間後、この「画像が取り込まれない」現象の理由が判明した。

数日前におこったアメリカ ミネソタ州で起こった事件に対しての抗議行動として、多くのひとが何のテキストもない黒い画像をアップロードしていたのだ。
当初これに対してのキャプションをつけない投稿が多く、ニュースを漫ろにしていたワタシには状況が理解できなかったのである。
徐々にこの黒い画像にメッセージや署名、説明がつき始め、同時にワタシもニュースを見るに至ったので、これらの行動について漸く理解するに至った。

時間の経過とともに、行動に出たひとたちの動画や写真、考察文や意見文がタイムラインに溢れ始め、ワタシの身近なひとたちもこれに言及する方が多くなった。

とはいえ、自分の考えを表に出すにはまだ勉強も足らず、まだ問題について意見は述べられるに至っていない。

今回はこの流れの中で、感じた事について触れようと思う。

自分の目で確かめたわけではないので断言はできないが、COVID-19の蔓延によって世界的にも感染のリスクを高める行動を控える風潮にある中、この問題についての集会やデモ活動は増えつつあるように思われる。

オンラインでの行動ももちろん大切ではあるが、多くのひとが声を上げ、行動で示す事は大変意味がある。
これを「こんなご時世に不謹慎な」とか言って片付けるのには違和感をおぼえる。
よってこれについて異論を唱えるつもりもない。

注目したのは、目に入ってくる抗議活動の光景にあるひとびとの姿である。

ワタシが見た範囲では、集まったひとたちは皆一様にマスクをつけ、これまで目にしてきたデモ行動のソレよりも人との距離をとっていた。

「言いたい事がある時はすべき事をしてから」

常々ワタシはそう思っている。

ワタシに関しては保身の意味合いが9割を占めるので少々論外なのかもしれないが…
特に抗議や要望を唱える際には、理不尽だと感じる事も含めて、相手に揚げ足をとられない為の防御を万全にしてから挑むことが必須だと思う。

伝えたい事に関してのみ言及したい中で、本題と関係のないところで感情的になられるのも論点をすり替えられるのも真っ平だからである。

得てして抗議・要望を伝える相手というのは社会的に自分より上の立場である事が多いので、それはもう攻撃力をつける前に万全の防御を整えるべきなのだ。
大きな権力の前で意思を伝える為には、最低限これが必要だと思っている。

この度の抗議活動については、輪をかけて不運な事に相手にとって有利な条件が同時発生してしまった。
慚無い表現を敢えてしてしまえば、
「ひとり亡くなった事件よりたくさんのひとが亡くなるかもしれない行動をとるあんたたちの言う事なんかきかないよ。」
と言えるような状況なのだ。

しかし今回の事件は、COVID-19流行以前から長く問題視され続け命にも関わってきた大きな問題に端を発した事件であり、おそらく収束するのにまだまだ時間を有する事柄なのである。

長く立ち向かってきたひとたちが動かないわけにいかない、というのは至極当然の話である。

今回の件に伴う黒い画像に込められたメッセージ、そして増えゆく意見文、抗議活動。
あくまでもワタシの目に入ったこれらの言動の中には、暴力的な表現や情勢に配慮のない行動は見られなかった。

「集まっている」事、そしてマスクの有効性云々を取り上げて「配慮がない」とする方がいるのも理解はできる。
その意見もおそらく平和維持をしたいという気持ちに対して間違ってはいない。

ただ、本当に問題に対して思想をめぐ、せ、行動を起こしている大多数のひとが、「むやみやたらに感情のまま動く事を制している」であろう事はおそらく間違いない。
単に「わかってくれ!理解してくれ!」と言っているだけではないのだ。

こういった思慮や配慮を伴う行動にこそ、伝える力があるとワタシは思う。

「気持ち」を大事すべく声高に言葉を重ねる前に、伝わる為に何をすべきかを考えて行動する。
これは絶対忘れてはいけないと考える。

それがないと「気持ち」なんてその場しのぎにしかならない気がするからだ。

ここまでの内容で、「いや、あんた壁の外から他人事だな。」と思われるかもしれない。
本質に言及していないし、これまでもあまり触れてこなかったのだから当然だと思うし、今は反論の予知がない。

これについては携わる問題が多く、未だにまとまらないので、いつか書ける日がきたら、と思っている。

とにかく、このところ感じ、考えたことは「したいことを実現に近づける為にはすべき事をしなければいけない」ということ。
もちろん「しないこと」という選択肢も含め。

考えることだけでなくて、できるかどうかを判断することもなかなか難しいことだけれど。

思考は停止しないでいきたい、と、日々再確認していきたいものである。

あまから。

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