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《木曜会:3月28日》

北浜にある猫の額のように小さな店「コロマンサ」にて知り合った、デザイナーの浦部君が頻繁にヒゲの男の会社へ出入りするようになった。ハイエンド向けマンションのカタログデザイナーとして不動の地位を築いたこの男は、いよいよ満を持して農業機械のカタログへと進出するのだ。

どのような風が吹くのか、今から楽しみでならない。

さて、3月29日の木曜会でまた雨が降る。ヒゲの男は、木曜会に参加して報告書を書くことがルーティンワークとなり、従来より「木曜日」というものを他の曜日と切り分けて見るようになったが、とにかく雨が多いという印象だ。統計学上どうなのか知らないが、冷泉との木曜会は雨が多い。

この日、ヒゲの男は仕事が難航しておりコロマンサへ行くのが午後9時頃となった。雨ではあるものの先週が賑やかだったので、今日もワイワイやっているのだろうと店に入ると、そこにいたのは冷泉とファラオのみである。

テーブルの上に見慣れないものが置いてある。それは、灰皿の上にちょこんと乗るくらいの真っ黒な小さな円柱状のスピーカーで、ファラオがコロマンサに提供したらしく、冷泉がスマホからBluetoothを繋いで音楽を流していた。雨の日におっさんたちが一堂に介して静かに音楽を聴いていたのかと想像すると、これは笑える。

特に聴きたい音楽もないので、いつしか店内にはファラオが公共の電波(ラジオ大阪 AM1314)に乗って日本中へ発信されたイカれた番組が流れる。ヒゲの男はこの記念すべき日のラジオ収録データを玉音放送のごとく永久保存版として持ち歩いているので、スピーカーがあればいつでも聞ける。

2021年11月24日放送:OBC「SIBERIAN NEWSPAPERのしゃべり庵」出演時の写真

「ファラオ、ええ声してるやん。腹から声、出てるやん」と冷泉はショットグラスを傾けながら、ファラオより数倍太い声で感想を述べる。事実、収録日のファラオは饒舌であった、自身がなぜボードゲームを活用して地域の子供たちへ遊び場を提供するに至ったのか赤裸々に語った。

一人の男の長きにわたる旅路をファラオは包み隠さずしゃべったのだ。

番組制作を担当したピアニストの藤田をして「ここ数年における阿守の最大の功績は、ファラオを発掘したことだ」と言う。乃木坂46のオールナイトニッポンのすぐ後、ファラオが飛び出してくるという番組枠(1時間も!)は非常に痛快だった。これは一般的な視点で見れば、交通事故に似ているのではないだろうか。

また、さらに正確な表現を用いるとすればファラオ発掘の功はヒゲの男にあるとする人が多いが、実際のところは違う。正確には、宝の地図を示したのはアラタメ堂のご主人であり、それを発掘したのは冷泉である。よって、『北浜のハワード・カーター』という栄誉に与るのは冷泉が相応しい。

ハワード・カーター (1874 - 1939)
イングランド生まれのエジプト考古学者。ツタンカーメンの墓を発見した人物。

ファラオのラジオを聞いている最中、冷泉のいとこのバレリーナの女がやってくる。夜の22時前であったが「これからスンドゥブを食べに行く」と言い、その前哨戦としてコロマンサに顔を出したと説明してくれた。

バレリーナの女は、冷泉のはとこがいよいよ大阪にやってくるという話しを淡々としてくれるのだが、冷泉は噂のはとこに一度も会ったことがないという。会ったこともないが、一度聞いたらなかなか忘れられない名前であることは、ヒゲの男もファラオもその時、認識した。

そんな折、バイオリニストのアウシュ君よりヒゲの男へ連絡があったことに気が付く。先週の木曜会、スパゲティを食べていたアウシュ君に向けて、ヒゲの男は仕事を依頼していた。内容は、最先端ロボット機械のテーマ曲の制作である。

スパゲティを食べてコーヒーを飲みながらアウシュ君はヒゲの男の話しを聞きながら「やりましょか」と応答してくれ、その場で交渉成立となった。それが3月21日。

ヒゲの男はそこから作曲に取り掛かり、3月27日に曲全体のイメージができあがったので本社の担当者に提案したところ無事に可決される。「実際に担当者の前でギター演奏するのはズルい。そんなん絶対に可決されるやろう」と映像プロデューサーのヒダ君は声を上げる。

ヒゲの男のやり方は大胆かつ詐欺的手法なのだろうかと悩んだが『ベター・コール・ソウル』と比べると、そんなことはどうでも良くなった。

Netflixドラマ『ベター・コール・ソウル』

3月28日(木)の午前中、ヒゲの男のみでデモ音源をレコーディングして、参加メンバーに夕方ほどに曲のデータを共有したのだが、アウシュ君からは早速それに呼応してバイオリンの旋律が送られてきたのだった。早い。

せっかくなので、ファラオがコロマンサに寄贈したスピーカーにてアウシュ君が提出してくれたメロディーのアイデアを木曜会の皆で聴く。

――さらわれそうになった。

アウシュ君の音によって、自分にスイッチが入ったのがわかった。彼が打ち出したアイデアは、まさにヒゲの男が欲していたものだった。いきなり精霊を呼び出された感じであり、それは世界中が抱える問題の数々が目の前に現れるようであった。

おお、音楽よ。

冷泉もファラオもバレリーナの女も踊り出した。万作だけは、ヒゲの男が作った風変わりな譜面にケチをつけていた。それも良い。

木曜会がなければ・・・と、考えると今さらながら怖くなる。毎週、同じ場所の同じ時間帯に自分たちが存在することで、偶然が偶然を呼び、密度の高い何かが発生する可能性があり、それは実際に圧倒的多数の人間の心に届く場合もあるのだから。

ヒゲの男はアウシュ君にすぐ返信した「鳥肌立ったわ!木曜会の全員」と。

木曜会の全員というのが、4名であったことは彼にまだ伝えていない。

雨は止むことがなかったが、雨が降り続けることで、傘を忘れなくて済む。

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