見出し画像

《ロシヤのパン》

大阪市内でスタジオを経営するブルーグラスの男から私に相談があった。
相談の概要は次のとおりである。

  • モスクワから日本の専門学校に留学している女性がいる

  • レコーディングエンジニアを目指している

  • 留学ビザが切れるまでに就労ビザが必要である

「阿守さんの会社に、おもしろいんじゃないかなと思いました」とスタジオの男が言うので、一度会ってみようという話しになり、先方も交えて日時を決めて会うことになった。私は会社の同僚ベラルーシ人のシャルゲイを連れて行くことにした。

シャルゲイを連れて行く理由の最たることとしては、やはり、ロシア語で会話ができるというところだ。アナスタシア(仮名)がいくら日本に2年近く住んでいるからといって、自分の考えを相手に伝えるため解像度が高い言語は不完全な外国語ではなく、母国語であろうと考えたからだ。シャルゲイは日本で8年になる。

もうひとつは、彼女の経歴にある。私が興味を持った理由もここにある。13人もノーベル賞受賞者を輩出しているようなモスクワの大学で言語学者となったアナスタシアが、なぜ唐突に日本の大阪にある音楽系の専門学校に通いだすことになったのか。

シャルゲイにも似たようなところがある。故郷ベラルーシで歴史学と民俗学を修得して、文化研究のために日本にやってきたこの男はいつの間にか私と同じ会社にいる。会社に届いたお歳暮の数々、それを荷ほどきする際に手締めされているポリプロピレンバンドを切るため会社の女上司が「シャルゲイ、何か切るもの持ってきて」と言う。数秒後、文化包丁を手に持ったままぼんやりと立っているシャルゲイの姿を見て、女上司は絶叫していた。

「アンタ!これは料理に使うもんやろ!」
「でも・・・、コレ、切れる」

私はその光景を見ながら、ハッと気が付いた。この発想や習慣の違い、ギャップ差こそ文化の違いであり、貴重なのだ。こんな人材、今までどこに!と思った。そう、切れれば良いという天衣無縫な発想、思考と行動によるプリミティブで直結する潔さがこの国には不足しているのではないかとも考えた。

そんな、シャルゲイを連れて私は就業後、スタジオに向かった。

スタジオでブルーグラスの男とアナスタシアと合流して4人になったメンツはそのまま食事に行く。ご飯を食べながらミーティングするのは非常に良いことだ。アナスタシアはご飯を食べてきたというので緑茶を飲む。私を含めた3人の男はカツカレーを食べる。食べながら私は幾つか質問をする。

「日本でレコーディングエンジニアとして働きたいのだと聞きました。ただ、レコーディングエンジニアとしてあなたの実績がない中でアシスタントから雇用してくれる会社は大阪には少ないと思います。そもそも外国人の雇用についてノウハウを知らない会社が多いでしょう」

私はまず日本語で質問して、この言葉を正確にロシア語へと通訳してくれとシャルゲイに頼む。シャルゲイはしばらく考え込み、口の中で小声でモゴモゴと言葉を確かめた後、誰に向けられたでもないぼんやりした視線を虚空に向けてこう言う。

「・・・ロシア語、忘れました」

エッ、ここまで何しに来たん。と私は驚いた。すると、すかさずアナスタシアが「大丈夫です、日本語わかります」とシャルゲイより流暢に日本語を喋る。

会社からスタジオに来るまでの私とシャルゲイの会話が走馬灯のように頭の中で流れる。

「シャルゲイがいてくれるから心強いよ。ビザのこととか僕はわからないし、異国で就活する不安も僕には実感がないから」と小雨の中、私はシャルゲイに話す。シャルゲイも「私も日本の大学院に来て、その後、いろいろあったから彼女のアドバイスができるかも知れない」と自分のこれまでを振り返る。なんとか力になれればいいねと言いながら、スタジオへ行くため地下鉄に乗り込む2人。

オレたち、世界は変えられないかも知れないけれど、誰か一人の役には立てるのかも知れないね。と、笑い合った道中が妙に遠くに感じられる。

ああ、シャルゲイ。お前のそういうとこ、ホンマにどうにかならんかね。

「大体、何社くらいに履歴書を送られました?」

空間が歪みかけたタイミングでブルーグラスの男がアナスタシアに訊ねる。アナスタシアは「3社」ですと答える。大阪のレコーディングスタジオ3社に履歴書を送り、そのうちの1社がブルーグラスの男のスタジオという確率もまあまあ異様だなと私は感じた、いよいよシャルゲイが喋り出す。

「私は、50社だった」

「それは、履歴書を50社に送ったということ?」とブルーグラスの男。

「違います、50社面接に行きました。採用だったのは今の会社だけでした。気が付いたらここにいます」と語るシャルゲイ。

私はこの言葉がどうしてだか面白くて面白くて思わず噴き出さずにはいられなかった。なるほど、そんなもんですわ。と急に肩の力が入らなくなった。

私はアナスタシアに提案した【日本に滞在したい】と【レコーディングエンジニアになりたい】を切り分けて考えてみたらどうだろうかと。この両方を一緒に両立しようとするから間口は小さくなるけれど、それぞれどちらかから優先的に実現させるようにすれば、発想や選択肢が変わるのではないかなと。

シャイではあるが、少し顔を紅潮させて彼女は「それでも、私は両方できる方法を探す」と私に伝える。

私のカツカレーはルーとご飯だけがなくなり、カツだけが2切れほど皿の上に残っていた。食べ方の配分をミスったなと私は考えていたのだが、彼女のこの言葉を聞いて、カレーのことなどどうでもよくなり、私自分が変質・老化してカタにはまっているのだと感じた。

私だってそうだった。両方できる方法を探し続けていたはずであり、賢くやる方法なんて探していなかった。そんな賢くやろうとする奴なんてのは、気味が悪かったし信用が置けなかった。

賢く発狂する方法みたいなことを自己保存のために考えることになっていたのではないか。この相反する感情が一個人の中で対立する際、私はいつしか誰しもが納得して解決する方法を優先して選ぶようになったのではないだろうか。

「・・・年取ったんやな」と感じた。

自分が彼女に向けて提案したことを同じ年齢の自分が受け取ったとき、その賞味期限だけが担保されたような思想に鳥肌が立っていたことだろうと想像できた。

「もし、困ったことがあればいつでも連絡ください。何もできないかも知れませんが、何かできるかも知れません。その日の気分や状況によって違います」と私は彼女に伝えた。それで十分だろうと考えるに至った。

私は、今すぐに自分自身を洗濯したい気持ちになった。

2024年、会社の年賀状のデザインはシャルゲイがした。A案とB案があり、A案は無難なものであったが、B案は龍が回転寿司で運ばれてくるというダイナミックかつ珍妙なものであった。この何ともいえない珍妙さがやたら気に入ったので、特に懇意とする取引先にはB案を送らせてもらった。

自然に湧き出てくるものとは、不可思議なものばかりだ。そして、何より魅力的なものだ。健全な毎日を送ろうと心から思った。お母さんがロシヤのパンを焼いて、お姉さんがサンバを踊り出しても、それらは絶妙に調和が取れているのだったことを思い出した。

七面鳥もそれなりに考えてはいたが、結局はスープに入った

ロシアのことわざ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?