長月 雨

読むこと書くこと聴くことが好き。

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マガジン

  • 本と映画とラジオとか。

    小説、詩、マンガ、映画、音楽、ラジオ、ポッドキャストなどなどに触れて感じたこと、考えたことについて書いた文章たち。

  • 大学での日々。

    研究のこと、勉強のことについて書いた文章たち。

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好きを語ろう。

自分が何に対して心地よいと感じるのか、それを探るべく言語化してみることにしました。 自分が好きなものがちゃんとわかっているということ、それは結構すごいことだと思うのです。忙しく毎日を過ごしていると、ついつい大切にしたいものを見失ってしまうような気がしています。私はたまに、あんなに好きだった小説や漫画の存在をすっかり忘れている自分にふと気がつくことがあります。どうして忘れてしまっていたんだろう、と何だか寂しい気持ちになりつつ久々にその本を手に取ると、心が満たされて、また前に進む

    • 2024年の漢字:拡

      大好きなポッドキャスト番組の「本と学びと私の時間。」(わたとき)で、その年の目標を漢字1文字に込めるという話を聞いて、2023年の漢字として「開」を選んだ。 昨年は新しい環境に飛び込んで、新しい扉をたくさん開いた1年だったなと思っている。定期的に「開」に自分が込めた意味を思い出して、いつもより少し勇気を出して開放的になる努力ができた気がしている。漢字1文字という軽やかさが私にはとても合っているようで、1年間伴走してくれた相棒のような存在だった。目標を立ててもすぐに忘れてしま

      • 自分の人生に責任を持つ

        ずっと、誰かに決めてほしいと思っていた。 誰かに方向性を決めてもらって、その道を走るだけで良いならそうしたい。それは世間一般で良しとされていたり、周りの人の期待であったり、メジャーあるいは無難とされる道であったりする。道筋が決まってしまえばもう後は何も考えずに進むだけで良いし、結果を人のせいにできるから楽だ。 そして、その道をひた走るという行為がひたむきな努力という美談で彩られて、最終的にどんな結果になろうとも傷が浅いあるいはノーダメージで済んでしまう。必死に頑張って自分で自

        • 倚りかからず

          怖い。怖くてしょうがない。 自分の足で立って歩いていかなければならないことが。 何かに寄りかからずに進まなければならないことが。 ずっと、手の届きそうな道、ある程度保証された確実な道をひた走ってきた私にとって、あまりにも選択肢が開かれすぎているこの状況に足がすくんでしまう。恵まれた環境でぬくぬくと過ごしてきたことはかなり自覚している。選択肢が開かれているという状況がすべての人にとって決して当たり前のことではないのだということもわかっている。けれど、自分次第でどうにでもなって

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        好きを語ろう。

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        記事

          クリエイティブにじっくり考える

          ずいぶん久しぶりの更新だ。 8月からデンマークに来ている。約1年間、来年の6月までの交換留学中だ。 3か月半が経とうとしている今、生活にはだいぶ慣れてきた。ただ、11月に入ってからの日の短さと天気の悪さには閉口させられる。11月19日現在、日の出は7時54分、日の入りは3時54分。お昼すぎぐらいにはもう夕方の気配がしてくる。ビタミンDを摂取して、何とか適応しようと努力している。 そんなこんなで上がったり下がったりの日々を送っているのだけれど、最近は自分の将来について考えてい

          クリエイティブにじっくり考える

          丸の内の丸善で泣きそうになった

          東京に行ったら大抵、丸善・丸の内本店に行く。特に本を買う予定がなくても行く。自然に足が向いて、吸い込まれるように入ってしまう。たぶん引力が働いている。 先日東京に行った時もそうだった。本来の目的は想像以上に早く終わって、すぐに帰路についても良かったのだが、東京なんてめったに来れないぞと思うと帰りたくなくて、なんとなく東京駅周辺をぶらぶらと歩いていた。そして唐突に思う。そうだ、丸善に行こう。 自分の住んでいる地域にも同じように大きな丸善があるのに、なぜか丸の内の丸善に惹かれ

          丸の内の丸善で泣きそうになった

          「なんとかなる」の魔法、用法用量を守って適切に。

          最近、以前と比べて、何事もなんとかなる、と思えるようになったなと思います。「なんとかなる」が口癖みたいになっているところもあります。ちょっとたくましくなったかも。でも、鈍感になったとも言えるんじゃないでしょうか。気合で押し切るみたいな体育会系な考え方になりつつある気もします。なんとかなる、なんとかなる、と唱え続けて気合でやりきるみたいな。 今年の漢字に、「開」を選びました。 新たな挑戦への扉を開く、オープンマインドでいる、というような決意を込めました。 年初に決めた目標と

          「なんとかなる」の魔法、用法用量を守って適切に。

          書く内容とその時の自分の気分によって、しっくりくる文体がいろいろだなあと気づいたので、統一感に背を向けることにしました。

          書く内容とその時の自分の気分によって、しっくりくる文体がいろいろだなあと気づいたので、統一感に背を向けることにしました。

          私のリズムを忘れていた。

          この1,2ヶ月間、リズムが狂っていたなと思う。 狂っていることにも気がついていなくて、何とか自分のリズムを保とう、保てていると思っていた。でも、今思い返してみると狂っていたなと思う。「なんかいつもの長月さんじゃない」と言われて、その時は「そうかなあ」とあまり自覚はなかったけれど、やっぱりいつもの私じゃなかったらしい。具体的に何が、とは言えないのだけれど。私のリズムは確実に狂っていた。 寒さがずいぶん和らいで、のどかでぽかぽかした陽気で、「ああ春だなあ」と、自分がただそれだけ

          私のリズムを忘れていた。

          今年の漢字:開

          もう2月も後半に入っていますが、今年の漢字について書いてみます。 すでに何度かnoteで書いていますが、私の好きなポッドキャスト番組「本と学びと私の時間。」で、少し前に今年の漢字をテーマにお話されていました。漢字1文字って軽やかで良いですよね。私はついつい欲張って目標を並び立ててしまいがちで、そのせいで目標の意味が薄れてしまうのがいつものパターンです。どんな目標を立てたのかさえ数か月後には忘れています。。無念。 パーソナリティのミキさんは、「幅」という漢字を選ばれていまし

          今年の漢字:開

          年末年始の恐怖感との闘いに終止符を。

          毎年、年末年始のふとした瞬間に恐怖感に苛まれることがある。 大みそかの静かな雰囲気や、お正月に親戚で集まって過ごすひと時は好きで、それなりに楽しんではいる。でも、時計の針がまっすぐ1本に重なる地点へじわじわと進んでいくのを眺めているとき、テレビの向こう側でアナウンサーが「新年あけましておめでとうございます。」と口にするとき、画面に着物やお節料理の華やかな色どりが映し出されたとき、私はいつも、なんだか怖くなる。喉がぎゅっと締め付けられて、鼻の奥がつーんとして、泣きそうになるほ

          年末年始の恐怖感との闘いに終止符を。

          何度忘れても、その度に思い出してほしいこと。

          自分の力だけでここまで来たわけじゃないと、何度も思い出しては、何度も忘れる。 今年一年(この時点ではまだ2022年だった)を振り返って、また忘れていたなと気づいた。 何かに追われて忙しいときや苦しいとき、どうしても自分に気持ちが向きがちになってしまう。一応、表には出さないように意識していたつもりではいる(周りがどう思っていたかはわからないけれど…)。でも心の中では「なんで私ばっかり」とか、「今、あの人より私のほうが忙しいのに」とか思ってしまっている自分がいた。 そうやって忙し

          何度忘れても、その度に思い出してほしいこと。

          読書が明日への活力になる

          物事の見方が180度変わってしまうような体験が好きだ。本は、いつでも鮮やかに私の価値観を変えていく。 大どんでん返しのストーリーに揺さぶられることもあるし、私とは異なる価値観を持つ登場人物が現れて全く知らない世界を見せてくれたりする。私の価値観を転換し、広げてくれる。それが本であると思う。 なぜ価値観の変化を好むのか。それは、私の知的好奇心の強さが理由だと思う。もっと深く知りたい。もっと新しいことを知りたい。自分の知らない世界を見てみたい。年々、そんな思いが強くなっている。

          読書が明日への活力になる

          【映画】マイ・ブロークン・マリコ

          『マイ・ブロークン・マリコ』を公開日初日に観に行った。ポスターとコピーと予告映像を見て、私が好きそうな映画だ、と思った直観は裏切らなかった。 大切な友人の死と、旅と、残された者の生活。これらは、「やがて海へと届く」とも重なるモチーフだ。よくよく考えてみれば、この2つの映画はよく似ている気がする。どちらにもそれぞれの良さがある大好きな映画だ。 よく似ているにもかかわらず、私が『マイ・ブロークン・マリコ』を観たときに既視感を覚えなかったのは、登場人物たちの浮世離れしたキャラク

          【映画】マイ・ブロークン・マリコ

          心が痛いと言っている。

          祖母が亡くなった。 その知らせを聞いたとき、今まで悲しみだと思っていた感情が全部偽物だったんじゃないかと思えるほどの悲しみが、私と母とこの家全体を包んでいるように感じた。 人が死ぬというのがどういうことなのか、私は知らなかった。近い肉親の死は初めての経験だった。 前々からもうそろそろ危ないんじゃないかと言っていたから、いつこの状況になってもおかしくなかった。 でもどこか他人事で、本当に現実に起こることとは思えていなかった。 私は特別おばあちゃんっ子だったわけではない。私は

          心が痛いと言っている。

          【無言館】私には私にしかない世界がある。

          少し前,長野県上田市にある「無言館」という美術館に行った。太平洋戦争で亡くなった画学生の生前の絵を所蔵した美術館だ。 彼らの絵から感じるのは,絵を描くことを心から楽しんでいるということ。静謐な空間に並ぶひとつひとつの絵や家族に宛てた手紙からは,必ず生きて帰って思う存分絵を描くのだという希望が伝わってきた。 そして,戦争は奪うのだと感じた。何もかも。 才能ある若者の未来,生きて帰って来られれば描けたはずの絵,明るく温かい家族の団らん,触れられたはずの息子のぬくもり。 全てが

          【無言館】私には私にしかない世界がある。