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【連載小説】絵具の匂い 【第8話】イタリアン大豪邸の小さな車

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絵具の匂い 【第8話】イタリアン大豪邸の小さな車


中古車を探すにあたって、俺はまずこの『黒い家』の最長老であるフランクじいさんに相談に行った。今では、共同冷蔵庫の甘いものを狙うことが生きがいの年金暮らしのじいさんだが、その昔は結構ちゃんとした勤め人だったと聞いていた。

窓際に置かれたひじ掛けのついた安楽椅子に座るフランクじいさんの後ろの壁には、雑誌の付録のようなノーカットのエロいポスターが張ってあった。
「これ誰?」と聞くと「死んだ女房だ」と言った。答えに困るギャグである。

本当に何も返しが浮かばなかった俺は、それは無視して、中古車はどうやって探したら良いかと聞いた。

しばらく考えたフランクじいさんから返ってきたのは、「新聞の広告だな」という言葉だった。なんて普通の答えなのだろうか。そこはギャグじゃないのか。

でも俺はそれを信じて、まず週末に地元の新聞「The Herald Sun」を買って Classified(項目別広告)の Used Cars(中古車)欄で車を探した。それまで全く自分に関係ないページだと思ってまともに見た事がなかったが、そこに書いてあるのは、車のモデル、年式、走行距離、状態、値段、連絡先、その程度だった。確かにこの国には中古車センターのようなものが少なく、この新聞の広告で中古車の売買をするのが主流のようだった。

***

Used Cars 欄には手ごろな値段の車がたくさん出品されていた。それこそ激安5万円みたいな車もあったし、買って登録すればすぐに乗れるようだった。日本では車を持つと車検だ、車庫証明だ、税金だで結構金がかかるイメージがあったが、この国では登録も維持費も低いし、やっぱり日常の道具の一つという感じだった。キレイな車に腫れ物に触るように乗って、ちょっと擦って傷がついたらすぐに何万円かけて塗装するという感じの文化でないのである。

トヨタ、日産、スバル、マツダ、ホンダ、三菱、スズキ、ダイハツと言った日本の中古車の出品がもの凄く多かった。この国では日本と同じで車が左側通行というのも日本車が人気の理由だろう。アメ車やヨーロッパの車もあったが、やはりここは値段も手ごろな日本車一択で行くことにした。

しかし車の状態は新聞の広告だけでは良くわからないので、電話をして見に行かなければならない。

これまで俺はやっぱりどこか頭の片隅に「俺、所詮この国に一時的に住んでる外国人」という意識があったのだが、この頃から「ちょっと本格的にこの国の人間になったろか」という意識が芽生えて、色んなこと(まあこの国の人間だったら当たり前にやっていること)を人に頼らずやり始めたのだった。こういう中古車の売買もそのひとつだった。

慣れないうちは結構大変だし、電話で中古車の状態を聞いたり事前交渉するには、普段使わないようなそれなりのボキャブラリーや言い回しも必要だった。しかし俺はこの時期に飛躍的に英語が使えるようになった気がする。また、英語関係でわからないことはセシリアに聞くことができたのもラッキーだった。

今考えると俺が話している英語は全部セシリアと話している時に覚えたようなものかも知れない。母親から習った言葉を「母語」と言うが、そういう意味ではセシリアは俺にとってある意味年下の母ちゃんみたいなものだったのかもしれない。

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ま、その話はまたの機会にさせてもらうとして、えーと何の話だっただろうか。そうそう、中古車売買の話である。俺は暇さえあれば新聞を眺めて、中古車の相場や人気車種、品定めの仕方などを研究した。たまにジョーに会った時もアドバイスをもらったりした。ジョーは仕事柄、中古車探しなどはお茶の子さいさいのようで、代わりに探してくれるようなことも言ってくれたが、俺はこういうことが全部自分でできるようにならないと一人前とは言えない気がして、その申し出はありがたかったが断った。

そんな時だった、短い走行距離にしては結構お値打ち価格の出物があった。ダイハツの1000ccの小型車なのだが人気車種だった。超美品と書いてある。忘れもしない A$4,000.- だった。日本円にするとまあざっくり40万円弱という感じである。ちゃんとした中古車ならそれくらいはするだろうという金額だったが、その頃の俺にとっては清水の舞台から飛び降りるような買い物である。でもそれまでの広告に出ていた相場と比べると、これがほんとに超美品ならかなりお得である。しかしもう少しだけ値引きして欲しい。ちゃんと交渉できるだろうか。

直ぐにでも電話したいところだったが、車の売買なんかしたこともない。俺は電話する前に原稿を書いてみた。
「新聞でお車の広告を拝見してお電話しております○○と申します」
感じよく英語で言うには一体何といえばよいのだろうか。

しかし、こんな事でへこたれてはいけない。俺は黒い家のキッチンにいる人間をつかまえて、こんな時に感じよく話すにはどういえば良いのかを聞き、その台本をそのままノートに書いて何度も暗唱してから、電話にチャレンジしたのだった。さすがヤル気を出した男である。

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大豪邸の小さな車

ちょっと緊張しながらしながら電話をすると、巻き舌っぽい男の人がでた。俺は咳払いをすると、原稿通りにゆっくりとわかりやすく、そして感じよく話した。幸いな事に電話の向こうの男性の話す英語はわかりやすく、下見に行く日もすんなり決まったのだった。

電話を切り、セシリアの部屋に行き「中古車を下見に行く」というと、目を輝かせて I'll keep my fingers crossed.(良い結果を期待してる)と言って両手の人差し指と中指をクロスさせて俺に見せた。(*下記参照)

彼女は学期の始まりや終わりに、大きなキャンバスを抱えてトラムやバスで大学に行くことが多く、それを運べる車(および運転手=俺)に大きな期待を寄せているようだった。

【Keep my fingers crossed について】
日本風に言えば「エンガチョ」の手である。ご存じの方も多いと思うが欧米では何か願い事をするときに手をこうするのである。要は人差し指と中指で十字を切っている訳である。日本ではばっちいものを表す形なので大違いである。
余談になるが、ちなみに「 I'll keep my fingers crossed. 」の拡張版として、「I’ll keep everything crossed. 」と言うものもある。この場合には両手をエンガチョにしたらその右腕と左腕を絡ませながら、両足も絡ませるというポーズをするのが一般的である。でも時に仕上がりがバカっぽくなるのであまり公式の場ではやらない方が良いかもしれない。

基本形 Keep my fingers crossed と 拡張版 keep everything crossed の例

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翌日、電話で聞いた住所に行くとそこはかなりの高級住宅街で、その家も入り口に鉄のゲートがありそこから玄関まで石が敷き詰めてあるような豪邸だった。そしてゲートの中にはなんと小さな噴水があった。

どんな金持ちが出てくるのかと思ったが、俺が呼び鈴を押すとでてきたのはチョビ髭をはやした痩せ型で小柄な親しみ易そうなおじさんだった。巻き舌のちょっと高い声で話す典型的イタリア系で、オーストラリアのショーン・ペンという感じの気さくなおじさんだった。

しかし家に入れてもらうと調度品がものすごい。客間だと思うが、なんというか、例の向こう側に座っている人が小さく見えるような長ーいテーブルがあって、壁からはよくわからない豪華なローソクが生えているような感じの部屋だった。昔映画のゴッドファーザーで見たイタリアの成り上がりの人達の家のイメージだった。

しかしこのショーンおじさん(仮名)、そういう裏街道の人ではなさそうだった。その家に似合わないちょっと地味な服をきた姿からは、まっとうに生きてきて成功した人の印象を受けた。

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ゴッドファーザー PART Ⅱ にヴィトー・コルリオーネ(のちのマフィアのボス、ドン・コルリオーネ)がアメリカで移民として生活を始めた頃のシーンがあるが覚えておられるだろうか。あの映画の中で俺の一番好きなシーンのひとつで、俺の持つ正しいイタリアの人達のイメージはあのシーンに依るところが大きい。

八百屋で働いている、デ・ニーロ演じる若き日の誠実な男、コルリオーネ。その八百屋のイタリア人店主が、地元の有力者の紹介で他の者を採用しなければならなくなり、コルリオーネにクビを言い渡さなければならなくなる。断腸の思いでコルリオーネに話を切り出すのだが、瞬時に店主の板挟みの立場を理解したコルリオーネは何の文句も言わずに、それどころか店主に「これまで世話になったことは一生忘れない」と礼を述べるのだ。そして、店主がせめてこれを持って行ってくれと野菜の入った箱を渡そうとするが、「それは受け取れないよ」と温かい表情で断り、店主のその後の幸せと健康を祈りながらその場を去るのである。美しすぎる。

そしてコルリオーネは愛する妻の待つ家に帰る途中にひとつの洋ナシを買い(金がないのでたったのひとつしか買えない)、家に帰るとテーブルの上にそれをそっと置く。すると奥さんはたった一つの果物を「まあ、すてきね」と本当に嬉しそうに受け取るのだ。美しすぎる。

そしてそんな妻の喜ぶ顔を見ながら帽子と上着を壁にかけたコルリオーネはテーブルにつくと背筋を伸ばして十字を切り、質素だが妻が一生懸命作ってくれた食事を食べるのだ。美しすぎる。

The Godfather Part II より

このシーンで描かれていた、このコルリオーネの生き方は俺の理想のロールモデルという感じだった。「こうありたい、しかし日常生活ではなかなかそうもいかない」というヤツである。映画の中でのコルリオーネのその後の人生はとんでもない方向に進んでいくのだが。

人当たりの良いショーンおじさんの背後には彼がこれまで生きて来たそんな誠実な人生が垣間見えた。というか俺が勝手に想像しただけなのだが。

***

しかし車庫に行くと結構な高級車が並んでいた。この素朴なショーンおじさんが乗るのだろうか。もしや結構荒稼ぎしているのか。そこはわからない。そして、その横には結構きれいだがちょっと場違いな感じの小さい車があった。これが今回のブツだった。息子の車だが今回買い替えてあげるのだと言う。
(なるほど、息子用の車だったのか)
その息子は出てこなかったが、きっと可愛がられているのだろう。俺は勝手にややポッチャリ型の「イタリアン箱入り息子」を想像した。

そしてショーンおじさんは、その車のエンジンをかけ俺を助手席に乗せて近所を一回りしてくれた。車はかなり良い状態だった。相場よりかなり安いので何かいわくつきなのかと思ったが、単にこのショーンおじさんの気前が良いだけのようだった。俺の値段交渉にも応じてくれた。

俺が「じゃ来週取りにきます」と言うと、
That’s a deal. You bought the best car! (よし、話は決まった。これ以上の車はないよ)と巻き舌で言いながら右手を差し出すと意外に力強く俺の手を握ったのだった。

***

俺は翌週、給料の小切手を銀行口座に入れると同時になけなしの金を下ろしトラムに乗ると、ショーンおじさんの住む高級住宅地に向かい、車を引き取ってきた。名義変更などは心配するまでもなく、ほとんどショーンおじさんが書類を書いてくれており、そこに少し書き足すだけで完了した。

車検の事を Roadworthy Certificate(俗にロードワージー)と言うのだが、それもショーンおじさんが既に手続きをしてくれていた。車のカギを受け取り、豪邸の門を出てからは久しぶりでおっかなびっくりの運転だった。トラム(路面電車)と遭遇するとやや緊張したが、イギリスや日本と同じ左側通行なので直ぐに慣れることができた。

しかし、こうして小さいながらも一台の車を持つと万能感が増すのが不思議である。なんとなく一人前になったような気になる。日本で18才になって直ぐに車の免許を取った時に、自分の世界が何百倍にも広がった感じがして感無量だったが、その感覚に近い。

俺は少し道に迷いながらも『Melway』と書かれた大きな分厚い地図帳を頼りになんとか無事に黒い家にたどり着くと、家の裏にあるひびの入ったコンクリートの駐車スペースに車をとめた。

(これで、セシリアの絵を大学に運んでやることもできるし、空港にも車で行けるので、上手く空港で仕事を終えるように仕事を組んだらガイドのバイトも一気に楽になるぞ)

俺はそんな事を考えながら『黒い家』の黒いドアを開けた。


つづく

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