やることが多いはずなのに記憶には残らない

ついこの間年が明けたと思ったらゴールデンウィークが来ていたが、今度はあっという間に夏季休暇がきた。
今年は、これまでの人生の中でひときわ時間が経過が早く感じる。
特に4月からは目まぐるしかった。

仕事に忙殺されて投稿できないと、書くことで心の平穏が保たれていたことを痛感する。
時間がないと睡眠時間の確保が最優先になり、筋トレやnoteを書くと言った習慣に手が回らなくなる。でも、そうした好ましい習慣の流れを止めた日常は、肉体にも増して精神に疲労が溜まり淀む。
嫌なことも良いことも言語化することで形になって、形あるものは保存や棄却といった次の対処がしやすいからかもしれない。
モヤモヤとした漠然とした考えや問題のままでおいておくことは、少なくとも私にとっては精神衛生上あまり好ましい状態ではないと感じる。

自分にも誰にも気づかれない考えや思いは、果たして存在するのかと言われれば「まだ生まれていない」としか答えられないが、形のないものの相手はいつだって困難だと思う。
それらが積み重なると、何か自分の行動や日常にも方向性とかまとまりといったものが失われる気さえしてくる。
深い思考には言語が必要不可欠であるように、思考がなければ私たちは一貫した目的ある行動を保つことは難しいように思う。

ただなんとなく日常が過ぎる前に、こうして自戒を込めた文章を書きに戻りたいと思う。
忙しいはずの日常はいつだって、なぜだか記憶にも記録にも残らないのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?