速くもなく遅くもなく、休日はゆっくりしたい

金曜日の夜。
世界中の人の幸福度が最も高まっている時間帯——。
私も、いつも夏休み前の子供のようになる。
ほとんどが頭の中から出ることなく色褪せる青写真をいくつも並べながら、何をしようか、どう過ごそうか、と忙しく考える。

カフェでゆっくり本が読みたい。
いつも行かないジムにゆっくり行ってみたい。
サウナでゆっくり整いたい。
何もせずただゆっくり過ごしたい。

最終的に絞っていくと大体残るのはこんな欲求ばかりで、結局、「ゆっくり」することに飢えているのだと気づく。
そして、ゆっくりするって一体なんなのか、と思う時がある。

仕事のある日はたいした事をしていなくても、なんとなく頭の中が忙しい。
電車の時間や出社時間など気にすべき時間も多い。仕事中は次にする事を考えながら目の前の作業を進めたり、段取りをシミュレーションしたり、気をつけることや忘れないようにすべきことを頭の中でリマインドしたり——。
自分がしたくてしている読書や筋トレでさえも、平日は時間に追われながら、限られた時間の中で急いで楽しむ。
後で「ゆっくり」するために、「急いで」家事をしていたりする。
なんだか不自然な時間の伸び縮みに疲れて、ただそういう状態から解放されたいだけなのかもしれない。

頭の中が忙しく、思考が渋滞している時の方が、なぜか時間は渋滞せずにどんどん流れていってしまう。
間のびしすぎた思考だと、すり抜けて時間を捉えられずに見逃して、いつの間にか去っていくこともある。(先週の土曜日は気付けば夕方で、休みを無駄にした気がして後悔した。)
速すぎず遅すない時間の流れが自分の周りにしっかりとあることを意識できる状態が、ちょうどいい「ゆっくり」している状態なのかもしれない。

私の場合は、後に何か予定が控えていない時に、静かな場所で本を読むときになどにちょうどいいと感じることがある。
本がおもしろすぎると興奮して、かえってゆっくりできなかったりするので、良い刺激も悪い刺激も少ないことが求められる。
「ほどほどに興味を持てる本」や「静か過ぎず喧騒もないカフェ」は、自分の感じる時間がちょうどいい流れになるよう思考の量を調整するために必要なのかもしれない。

明日、私は残念ながら昼まで仕事だが、その勢いを利用してせめて充実した活動的な午後を過ごそうと思う。

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