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家に引き込もれる大義名分がほしい

緊急事態宣言が終わってもなお私は資格試験という名の元に堂々と家に引きこもっている。資格試験が終わって自由の身になったらと想像するだけで、なんだか憂鬱な気持ちになる自分がいる。

思えばこの数年はコロナという隠れ蓑の元に気の進まない約束はお断りし、やる気の出ない事柄は先延ばしにしてきた。好きな人と好きなときにだけ会いやりたいことを気が向いた分だけやる、ぬるま湯のような時間。

来年留学に行くことに決めたという友人の話を聞いて、私は海外で暮らしたいという夢を諦めたことを思い出した。忘れたいことだらけの自分の生活を劇的に変化させることに賭けていたが、渡航禁止の文字を見ているうちに気持ちは萎えてしまったし、何よりビザの年齢制限が過ぎてしまった。今となっては本当に海外で暮らしたかったのかさえも覚束ない。

来月のデートの約束も断る理由が思い付かずに辟易としている。アルコール解禁に浮足だったもはや顔さえ思い浮かばないの人々の「お久しぶりです。元気してましたか」のLINEは返信することすら面倒くさいし、なぜだか無性に腹が立つ。結婚願望は相変わらず都市伝説のように靄の彼方で、彼氏がいなくてもそれなりに幸せな日常が出来上がってしまった。

絶え間なくすすむ日常の茫洋とした可能性に惑わされるぐらいなら、コロナ後の世界でも現状維持という穏やかで波風立たない暮らしに引きこもっていたい。しかし、維持し続けるだけの現状は緩やかな退化だと誰かから聞いた。変わりゆく世の中と動的平衡を保つためには自分もたえず進化し続けなければならないらしい。

コロナに侵食された日常は最初こそ居心地が悪かったものの、常に前進しなければという強迫観念に取り憑かれていた私に束の間の安息をくれた。何もせずとも自分が自分であることを辛うじて受け止めていられる短く尊い時間。どうかまだ起こさないで。もう少し眠らせてほしいと誰にいうわけでもなく静かに願っている私がいる。

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