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家が美術館になった話。

はじめまして。門司港ヤネウラの管理人のみくるです。北九州の古き良き港町のおんぼろビルの屋根裏で6人のシェアメイト達とこっそり楽しく暮らしています。

※この記事はブログリレー「 #新型コロナ時代のシェアハウス 」の10日目の記事です。

港町の門司港には色んな人が来ては去っていく。なかには、ふらっと立ち寄ったつもりが、気が付けば長く居ついてしまった人達もちらほら。門司港在住のアーティスト黒田征太郎さんもそのうちのひとりだ。

シェアメイトのひとりが黒田さんのアトリエの手伝いをしていたことがきっかけで、私達と黒田さんは出会った。彼がヤネウラに遊びに来た時に、彼は「ここの雰囲気はネイティブアメリカンのサンダンス(儀式)を思い出す」と言った。誰もが自由にやってきて思い思いに過ごせる空間。ネイティブアメリカンの文化や思想の影響を受けて育った私にはこのうえない褒め言葉だった。

それから何度か黒田さんはヤネウラを訪れ、そのたびに壁に絵を残してくれた。「いいねえ。どんどん描きたくなる家だね」そう言って、彼はおよそ築80年のオンボロな空間を何度も褒めた。そして、私達も黒田さんに触発されるようにしていたるところに絵を描いた。

黒田さんとの緩やかな交流が続いたある日、ヤネウラに黒田さんの作品と白紙が大量に届いた。「自由に使っていいよ」とのこと。奇しくもその頃、世間では緊急事態宣言が発動され、カフェやライブハウスなど次々と屋内施設が閉鎖された。美術館もその例にもれなかった。

ヤネウラの住人はおしなべてアートに対しての造詣が深く、日頃からアーティスト活動やアートイベントの企画等に携わっている人が集まっていた。そんな私達にとって美術館に行けなくなるというのはひとつのセンセーショナルな出来事であった。

コロナによって街から美術館が奪われたのであれば、自分達で家の中に美術館を取り戻そう…!そんな想いで住人による住人のための企画展「黒田征太郎濃厚接触展」を開催した。

タイトルの『濃厚接触』には二重の意味を持たせてある。ひとつは黒田征太郎さんの作品に家という最も身近な場で触れられるという意味。もうひとつは黒田征太郎さんに濃厚接触して感染した私達がつくった作品を展示するといういう意味。

美術展はソーシャルディスタンスにのっとり入場不可にして、会場の様子のオンライン配信のみを行った。

緊急事態宣言が解除された会期の最後には黒田さん本人も見に来てくださった。「本来であれば捨てられていたはずのものたちをこんな風に展示してもらって嬉しい」と照れ笑いを浮かべながら語った。そして、コロナのようなこの状況は「楽しんだもの勝ち」であるとも。

そう、不謹慎かもしれないがシェアメイト達と家で過ごした自粛期間はとても楽しいものだった。もし、コロナの状況でなければ、家を美術館にしようなんて発想は浮かばなかったかもしれない。クリエティビティは一定の制限下でこそ最大限に発揮される。そして、stayhomeによるシェアメイト達との密な時間こそが「美術館」というひとつの巨大作品の共同制作意欲を喚起した。

私がシェアハウスで暮らすという生き方をはじめたのは2013年の東日本大震災以降である。当時、東京のアパートでひとりで生活していた私は混乱と不安の世情のさなかで「ひとり暮らし」という居住形態に違和感と危機感を抱くようになった。

今回、緊急宣言事態が発動されたときに、改めてシェアハウスに住んでいて良かったと思った。家に居ても孤独ではないことがどれだけ自分を救ったことか。それどころか、シェアハウスで暮らしていたおかげで、コロナ状況下においてもかけがえのない新しい出会いと経験が生まれた。独創的なシェアメイト達がいれば、何の変哲のない日常もユニークなものになる。

そんなわけで、家族みたいな他人と暮らすことに私は今また改めて希望と可能性を感じている。

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