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意味ない仕事するくらいなら切腹したい

或る人に「あなたは仕事に意味を求めすぎている」「仕事に意味をつけるのは自分だ」という正論を訥々と聞かされて、久しぶりに心のHPポイントがゼロになった。ここで試合終了のゴングが鳴る。

私は世の中の大半の仕事ができない。今も昔も自分の経験に根差して「これは自分または社会に絶対に必要だ」と思えることしかどうしてもできない。文明が無闇に進むのは反対派で、先住民の暮らしにずっと憧れていた。資本主義の発展にも加担したくない。生きていくうえで本当に大切なことなんてごく一握りなのに、なんで不必要なことを心を擦り減らしてやっていかなきゃいけないのだろうと考えはじめると続かなくなってしまう。

シェアメイトが「土日は友人や恋人と過ごしたいのでバイト辞めます!」とバイト先に伝えたら、社員の人から「は、仕事舐めてるの?」と返されたエピソードが好きだ。昔の自分をみているようで、内心やったれやったれ!と思った。社員の人こそ他人の人生舐めてるでしょ、という話を彼女とした。

もし、お金をたくさん稼いだら仕事を辞めて、海の近くの大きなおうちに住んで好きなだけ本を読んで色んな人達を呼んで和気あいあいと素朴に暮らしたいと日頃から思っていた。しかし、ふとしたきっかけで港の近くの図書館の屋根裏のだだっ広いシェアハウスに住みはじめ賑やかな日常に巻き込まれることとなり、貧乏なままにして長年の私の夢は叶ってしまった。

となると、やっぱり「意味がある」と思える仕事しかしたくない。お金を稼ぐためではなく生きるための仕事。それがなくては社会が誰かの人生が崩壊してさまうような仕事。生きていくために退屈な仕事をするしかないなら切腹したい。そもそも、私は生きるモチベーションがとてつもなく低いのだ。面白いと思えないことを続けてまで、生かしておきたい命だとは思っていない。でも、面白いと思える人生がもし仮にあるならその先にちょっとだけ興味がある。

そんな、自己肯定感はマリアナ海溝並みに低いけど、プライドだけはヒマラヤばりに高い自分を今も昔もずっと変わらず持て余している。とかくこの世は生きづらい。

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