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40日後に『還』の私・1981年20歳

このシリーズは、4月26日に還暦を迎える私がこれまで生きてきた人生を、
1日1年として60日前の2月25日からカウントダウンしているものです。
人生をトラウマや問題や大きな出来事などの記憶としてではなく、
それらのハイライトのみではなく、
日々、日常をただ生きた、1日1日、365日をちゃんと生きた、
笑ったり泣いたり歌ったりしながら、生を楽しんだ。
だからこそ今の私がある。という観点から、
今までの私が生きたすべての日々をリスペクトするためのシリーズです。

相変わらず、リアルの日数にはまったく追いつかないけれど、どうにかこうにかインスタグラムでのライブ配信だけは、毎晩できている。

1981年、20歳の年。4月からは大学2年生だけれど、前回書いたように、どうやらニュージーランドに行ったのはこの年1月以降の冬だったようなので、このことをメインに追憶してみた。

具体的には覚えていないのだけれど、確か、父親が「これどうだ?」と
新聞の小さな記事を切り抜いたものを持ってきたように記憶している。

そこには「テレビレポーター募集」と書かれていて、ニュージーランド航空の直行便が日本に就航するにあたり、ニュージーランドという国のキャンペーンのために英語が堪能な若い女性を募集とのこと。

当時、旅番組のレポーターというのはかなりの憧れで、もっともやってみたかったことの一つだったのですぐ応募したと思う。

またまたオーディションなるものを受けて(試験とか受験とか嫌いだったのに、こうして振り返るといつも何らかの試験を受けたりしている気がするw)
何百人だったか何千人だったかの中から1人選ばれたのだった。

これまた、やったー!という出来事だったはずだけれど、実際の旅生活は
それはそれは過酷だった。毎晩ほとんど睡眠時間が取れなかった上に眠れなかった。胃は痛くなり食欲は落ち、行った当初より10キロくらい痩せてしまった。

何がストレスだったかって、自分以外のスタッフ全員が男性、それも「おじさん」達だったこと。何の経験もバックグラウンドもトレーニングもないまま、いきなりマイクを持たされ、「はい、そこでしゃべって」「はい、そこでインタビューして」「はい、そこで通訳しながらインタビューして」。その緊張感たるやすさまじかった。そして撮った後のダメ出しもすごかった。

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監督は、その頃著名だったミュージカルの演出もされていたこともある、武市好古さん。彼は、まったくの素人の大学生の私の素人っぽさを番組で生かし、光らせたかったのだと言っていた。

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今思うと、かなりの荒療治ではあったが、こんなふうにしてスタートした私のテレビ出演人生(?)は、結局のところ、いつも「ぶっつけ本番」とか「出たとこ勝負」とかその後、テレビ局にアナウンサーとして就職した後の生放送でも生きてくる経験だった。腹をくくるとか、どうにかなるとか、どうにかするとか、色々あらかじめて頭でひねくりまわさずに、その場で起きていることを拾うとか。

インタビューもほとんどいつも打ち合わせはなし。おまけにその場で通訳しながら、しかも、普通の通訳をしていてはダメで、番組上面白いと思えるような、まるで通訳がいないかのような通訳をしろ、と言われ、超難関だったけれど、なかなかの技術が身についたと思う。

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その苦しいばかりの記憶だったと思っていたし、テレビに出てた癖に自分の顔写真や姿を自分で見るのは死ぬほど嫌だったので、今回、こうして一つ一つ振り返りながら、自分の写真を見るのが嫌でないこと、それどころか可愛いと思えたりすることに若干驚いている。

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この時のアルバムに、自分のことを「ブタ」と書いていた私。
日々の取材が辛くてしんどくて、弱音を吐くこともできず苦しんでいた私。

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それでもアルバムを見れば、美しいニュージーランドの景色はそこにあったし、現地の人々との心通い合う場面もたくさんあった。

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そして何より、そんなふうに「育てて」もらったこと、早くから「台本」なしでも
しゃべることを教えてもらえていたことは、今現在の「今ここ」を感じて喋る、という習慣にすべて繋がっていたのだと思うと感慨深い。

武市さんはもう亡くなられて久しいけれど、最後まで私のことを気にかけてて下さったそうだ。本当に今では感謝している。

2ヶ月のニュージーランドの旅から帰国後、おそらく番組は春の改編から放送だったのだろうと思う。それまでナレーションを入れたり(ナレーションまで台本なしだった!画面を見ながら、その場で浮かぶことを喋っていくというすごい過激なスタイル・笑)細かな最終段階の仕事をして、それから放送された番組で、私は正式にテレビデビューを果たした。

まさか、この2年後に全国ネットのテレビ局にアナウンサーとして就職することになるとは、この時は想像もしていなかった。

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そして世の中を賑わしていタノは、こんな方々だった。
 

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なめんなよ。
 
 
1982年へ続く。


🍀インスタグラムではライブ配信で、
当時のヒット曲を同年代の人達と歌って楽しんだりエピソードを語ったりしています。(時間未定ですが、大体夜の20:00前後にスタートしてます)
ぜひ視聴しに来てくださいね。
アーカイブ視聴もできます(プロフィールページのIGTVのタブから)

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