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受難の日々の中のギフト

また日をあらためて続きを書こうと思っていたけど、日々激動なので、
明日からまたガラっと変わりそうだから、取り急ぎ、少しだけ書いておこう。

詳細は省くが、一連の旅の2週間から戻ってきて2日後、うちの2世帯住宅の1階で一人暮らしをしている義母が突然、両足から大量出血。それも尋常でない量で家中、血の海となるという出来事が勃発。しかもその日は夫は仕事、私も仕事や所用で1階の様子はまったくノーチェックというタイミングで起きてしまった。

ちなみに、義母との関係は結婚以来とても良好。
2世帯住居といっても完全に独立して暮らしてきて、義母は干渉されるのもするのも嫌いな人で、私もそうなので、程よい距離でここまできた。
私は過干渉の家に育ち、実母はモンスター母親なので、義母の在り方がほっとするし、色々なことにいつもそっと気づかせてくれる人としてとても尊敬してきた。

だが、ここ数年、義母は認知症の症状が出てきており、我が家の懸念材料となっていた。
前述のように、義母は干渉されるのも嫌いだし、他人の手を借りるのにもとても抵抗がありそうで、なかなか介護認定を受けるまでに至っていなかった。

基本的に自分の親は自分で、というスタイルでやってきた私達夫婦。
私の父はもう何年も前からアルツハイマーで現在は特養施設におり、実母は
一人暮らしで現在、足が不自由になりつつある。
そんな中で、義母のことは、時折夕食を作って届ける以外は
ほとんど夫に任せてきた。それも頻度が増えつつあるところだったけど。

でも夫の重病と手術が発覚してから、夫自身の長期療養が必要になることが見込まれるのと、私の身体がもたないだろうということで、12月に入ってから義母の介護認定を申請してもらってきたところだった。

一連の旅行キャンペーンのような2週間がちょうど終了してすぐに起きた
その義母の流血事件。

職場でも見れる家の見守りカメラで夫が気づき、私が大急ぎで家に帰って血の惨状の第一目撃者となった。幸か不幸か、テレビ局報道時代に殺人現場の取材などをたくさん見てきたので、そのような状態を見るのは初めてではなかった。というより、そんなことに例えるほどに、ものすごいことになっていたのだ。

多分、それを見たら発狂したり失神したりする人もいるのではというくらい、いや、実際私も震えがきたほどに家中が血の海だった。若干トラウマになっている光景かも。

外部からの侵入者によるものではないことを確認しながら、自分の心臓がバクバクする音と、若干震えている自分の声に気づきつつ「おかあさん‼️」と義母に呼びかけ続けて
血を踏まないようにしながら家の中を進み、義母の寝室へ入ると、
きょとんとした義母が起き上がり(この時点では夕方)、「あら?どうしたの?」
となんでもない感じでいることに拍子抜けと安堵。

でも次の瞬間、義母が自分の血の惨状を目にして、しかもティッシュやトイレットペーパーやタオルでたくさん拭いたあとがあるのを目にして、
「あら、これ誰がやったのかしら?」と不思議がっているのを見て、
「ああ、やっぱりかなり(認知症が)ひどくなっていると実感。

時間がたってしまっていて、どこから出血したのかもわからないし本人には痛みもない。どうも足から出血したということしかわからず、とりあえず生まれて初めて家に救急車を呼んだ。わけがわからない様子の、でもちょっと貧血気味で意識が少し朦朧としている様子の義母を、何件も病院に断られながら、やっと8〜9件目くらいで診察してくれる救急病院へ。

そこでは原因はわからなかったのだけど、入院できる病床もないということで連れ帰ることに。仕事終わりの大渋滞を潜り抜けて、夫も搬送先の病院に車で迎えにきてくれたので義母と3人で帰宅。

その後は夜中過ぎまで家中の血の処理。洗濯。

翌日、あらためて病院に連れていくと、結局、義母は下肢静脈瘤がなんらかの傷によって破裂したのだろうということ。私は知らなかったけど、静脈瘤でもそんなに血が吹き出すような大出血になることはわりとあるらしい。

それ自体は治療は特にないということだった。そのこと自体よりも、その「事件」に対する義母の反応で、これは相当認知症がひどくなっていると判明。

そしてまた、この一連のプロセスすべてが信じられないほど絶妙なタイミングなのだが、翌日が、初めて公の役所の方とケアマネさんが来訪して義母と面談する日だったのだ。

そこで義母と検査としてのやりとりや、まだ血のあとの残る現状を見てもらうことができて、さらに夫の脳腫瘍の大手術を1ヶ月後に控えていること、妻の私は仕事もあるほか自分の実の親のこともあって、家族でつきっきりで義母の世話をすることはできないことなどすぐに理解頂けて、ただちに事を進めてくださった。

これらすべての出来事において、とにかく出会う人出会う人が天使のように思える。素晴らしい人達に出会い、大切な言葉や気づきを頂く。

その中でも、ケアマネさんが教えてくださった、
「どんなに認知症がひどくて何もわからなくなったように見えても
誰かに優しくしてもらったり大事に扱われたことは覚えているんですよ。
出来事自体は覚えていなくても、その時ご本人が感じた気持ちは残っていくんです」

これは私がずっと取り組んできた意識の探究やエネルギーヒーリングの世界とも通じるし、運営しているウィットネスクラブでずっと伝えている喜びや気持ちよさの「形状記憶」の話にも通じる。

形状記憶とは、荒い扱いや洗濯などでたとえ形が崩れてしまうことがあっても、ちょっとした刺激で元の在りたい状態に自然に自発的に戻る、ということ。(と私は理解している)

自分の中にその元の状態の心地よさの感覚が蓄積されればされるほど、そしてそれが習慣となればなるほど、何か起きた時、いざという時のリソースや蓄え、支えとして、その感覚と状態が生きてくる。

「優しさ」もそうなんだ…
物理的な出来事の脳の記憶は薄れても
感覚的エネルギーは残るんだ…

などと感動していたら、夫が、「お袋はいつも、えいこちゃんは優しい子だから」って口癖のように言うんだよ、と。「あの子は本当に優しい子なんだよ」って
いつも私がいないところでも言ってくれていたらしい。
そんなに「優しい」って思われるようなこと何一つしていないのに。

私の方こそ義母はいつも人のことを褒めるし労うし感謝を伝えるし
見習いたいとずっと尊敬してきた。

もう30年近く前、私達夫婦が若気の至りで欠陥マンションを購入してしまい、業者と揉めた時に、義母が言ってくれた言葉が私の目を覚ましてくれたことがある。

それまで私は、私の実母のたえまない人の陰口悪口、批判、愚痴の聞き役、はけ口として育ってきて、その実母の口癖でもある「〇〇のせい」「〇〇のせいでこんな目にあった」「〇〇の責任を追求する」「私は何も悪くないのに!」という徹底した姿勢が刷り込まれてしまっていた。加えてマスコミにいたことも、そのような姿勢に輪をかけていた。
マンションの件では、徹底的に追求するつもりでイキリ立っていた時だった。

その話を頭から湯気が出る勢いで夫と二人で話している時に、義母がさらっと
「自分たちが買った責任もあるからね」
と言ったのだ。

それはまさに、私の頭が真っ白になるような意味不明の言葉で、
「は?!」と声が出た。

しかも義母のその言い方は私達を責めるような言い方ではなく、
なんというのか、人生を生きていく上で忘れてはいけない智慧を授けるような賢者さながらだった。

その頃私はまだ精神世界や意識のことは何も学んでいなかったので
「自分の思考が自分の現実を創る」などということはまったく考えたこともなかった。

でも、「現実は自分たちが選んだ結果」でもある・・・ということをその後、かみしめられるようになって、この時の義母の一言に本当に本当に感謝しているし尊敬している。

他にもたくさん、義母の言動で私が見習いたいことがあって、掃除や片付けが好きだったりするところなど、片付けられない女の典型のような私はびっくりしまくりだった。

その敬愛する義母の言動が、どんどん変貌していく。
数秒前に言ったことを覚えておらず、何度も何度も同じ質問をしてくる。
人の名前も時間も月日もわからなくなり、ぼーっとしていることが多くなってきた。

すでに実の父でさんざん経験しているので、その「わからなくなっていく」過程は見ていたものの、やはり胸がしめつけられる。

料理もできなくなった。洗濯もしなくなった。まだ掃除だけはいつもしているみたい。

そんな義母との今年のお正月。
1年を通して食事を一緒にすることなどほぼない距離感でも、毎年、大晦日とお正月だけは年越しそばとおせち料理とお雑煮を一緒に1階で夫と3人で食べてきた。

以前は義母はおせちも作っていたけどそれはいつしかなくなり、購入したものを美味しく頂き、私がお雑煮を作って一緒に食べるようになった。

でも今年は、とうとう、「大晦日、お正月」ということもわからなくなっていた。
それでもしばらく一緒に過ごしていると、なんとなくは思い出すようだった。

私は、義母と過ごした大晦日とお正月を思い起こして、義母がしていたことを再現しようとしてみた。細かいことを。

たとえば食事中にお茶をついでおくこと。(私の家ではそれはしない)
ひとりひとりに手拭きをだしてくれていたこと。
おせちを食べ終わったら、甘いものを出して、同時に、必ずみかんを大量にテーブルの上に置いて「たくさん食べて食べて」と言っていたこと。

それらはもう義母はしなくなってしまっていたけど、それをしたら記憶が戻ってくるかも、というような、いや、記憶というか、なじみのある居心地になるかも、とほのかに思いつつ、その実、それをすることで義母とのお正月の時間を
私自身の記憶に刻んでおきたいと思ったのだ。

それらに反応は特になかったけど、何度か義母が
「わー懐かしいね」と言った。お雑煮を口にして「懐かしい味だね」
紅白まんじゅうを見て「懐かしいね」
なんだか嬉しかった。

そして何度も何度も「えいこちゃんに申し訳ない。私の面倒を見るなんて絶対させたくない。えいこちゃんの仕事や人生を狂わせたくない」と夫に訴えてくれて。
いろんなことがわからなくなっているのに、それだけは何度も口にしていた。

そのたびに夫が冗談めかして、「俺は?俺もすごくやってるんだけど。俺の人生は?」と。

それにしても、ほんと、夫の甲斐甲斐しさには感心する。
自分の母親だから、と私になるべくさせないように、自分が先回りして動いてくれる。前はそこまでする人じゃなかったのに。

そうして気づくと夫はぐったり疲れてしまっている。夜も義母のことが気になって眠れていないようだ。ただでさえ、脳腫瘍の圧迫でしんどいだろうに、そしてそれができた原因がストレスだろうに、夫がそんな繊細な神経の持ち主だということも含め、こうなって初めてわかったことがたくさんありすぎる。

そんなお正月、私の実の母は、年末年始、ショートステイの代わりに
かかりつけの病院に入院している。明日退院で、夫と病院に迎えに行く。
年末に入院した時、とたんに母の携帯が壊れてしまい病院で、携帯の修理に行ってきてくれと大騒ぎしていると看護師さんから連絡をもらったけど、それはもうほうっておいてくれと言った。可哀想だけれど、あのモンスター母に付き合っていたら気が狂ってしまうのだ。

こうして書いていても、病人が多すぎるし、母とか義母とか、わけわからない。読んでいる方もそうですよね。

更に、これらのやりとりをしている合間に、特養に入っている私の実父が、もうずいぶん前から具合が悪いのだけど、とうとう水分も受け付けなくなり、あと1週間もたないだろうという連絡が入った。コロナで面会も見舞いもできない今だけど、看取りが近いということで、明日、退院した母を連れて、最後の面会に行ってこようと思う。

自分の人生で一番ぐちゃぐちゃになっていて信じられないくらい同時多発的にというか、見事にひとつが一段落すると次が起きるという流れになっているけど、「悪いことが起きている」のではなく、通るべきところを通っているのだと感じる。
ここにその全ては書けないけれど、そうそうないであろうこの状況を少しでも自分のために記録しておきたい。

明日、荒れ狂っているであろう実母が退院し、実父の最後の面会に連れて行くという局面は、また新たなチャプターに入る気がする。

それにしても、お正月気分がこんなにないのも初めて。
大晦日は、毎年必ず日付が変わると同時に除夜の鐘と港の汽笛の音を聴いて
年明けを味わってきたのに、今年はそれもする気がせず早寝してしまった。

そんな状態だった、ということも記録しておこう。

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