見出し画像

人生かけてだいじにしたい初心を思い出した

借の多い生涯を送ってきました。


小さな頃からとろくて、空気の読めないところがあって。
マイワンダーワールドの住人だったわたしはあまり協調性がなく、幼稚園の頃からどこかちょっとみんなの輪から浮いていました。

多少は社会性を身につけたものの、やっぱり人の世を渡るのはうまくありません。
「向こう見ずなビビり」とでもいいましょうか。
興味を持ったものごとにあれこれダイブしていくのですが、ちょっとのことですぐ音を上げる我慢弱さも子どもの頃から変わりません。

世の中には人を頼るのが苦手な人も多いようです。
我慢弱い性格のわたしは恥も忍ばず、自ら「タスケテ!」と助けを請いまくり、周囲の人たちに借りばかりつくって今もなお生きています。

高校入試の当日、ペンケースを忘れて青ざめるわたしにシャーペンと消しゴムを貸してくれた隣のあの子のこと、今でも忘れません。


さて、わたしはライターの「ラ」の二画目の「フ」の部分を書き始めんとするあたりで、とあるライターコミュニティに入りました。

つまり、まだまともにライターとして活動していなかったのに、ライターのコミュニティに入ったわけです。
両親とももっと控えめな性格です。面の皮の厚さは一体誰に似たのでしょうか。

そんなわたしを温かく受け入れてくれたのが『大阪ものかき隊』でした。
記事をつくるのにはまず構成が必要だということさえ知らなかったわたしです。
子どもが自転車に乗る練習を手伝う親のように、後ろからずっと支え続けてくれました。いや今も。

そう、ものかき隊はもはやライター・えいみの生みの親だといっても過言ではありません。


クライアントから高圧的なメッセージをもらったときには半べそをかきながら先輩を呼び出し、一緒に対応を考えてもらいました。

別の日には「構成がつくれません!」とまた先輩を呼び出し、2時間以上かけてみっちり教えてもらいました。

「自分の仕事を時給換算したら涙がちょちょぎれます」とぐちれば「もう自信持っていいレベルだから、その仕事卒業しなさい」と背中を押してもらったこともあります。


ものかき隊はわたしにとって、背中に目でもついているかのような洞察力と絶妙なタイミングで「あんた最近どうしたの?なんか元気ないわね」と声をかけてくれる母のような存在です。
あるいは、ふだんは無口だけれど大きな背中で語りかけてくれる父のようでもあります。

親子関係に貸し借りの考えはあまりしないでしょうが、もらった恩の底深さたるやマリアナ海溝と良い勝負でしょう。


もしかしたら以前どこかに書いたかもしれません。
「わたしはお金のために働いている」と。

もちろんお金のためもありますが、だいじなことを思い出しました。

つねに誰かの助けを得て生きてきたわたしは、なにより恩返ししたいのだったと。
ものかき隊だけでなく、あの人にも、この人にも。数えだしたら夜が明けてしまいます。
そのうちの誰かひとりにでも恩返しできたと実感したことは(記憶の限り)未だありませんが。


先月、わたしはものかき隊の紹介ツイートを投稿しました。

…なんということでしょう。
わたしのツイートを見て入会したとおっしゃる方が現れたではありませんか。


noteは別として、ふだん仕事で自分が書いた記事は一体どこのどなたが読んでくださっているのか、そもそも誰かの目に留まっているのか、わたしには知る術がありません。

小瓶のなかに手紙をつめて、大海にそっと浮かべるようなものだと。

ですから「読みました」のひと言だけでも飛び上がるほどの嬉しさです。
今回のできごとは、さらにその手紙を持ってわざわざわたしに会いに来てくれたような喜びを感じさせてくれました。


「恩返しがしたい」というだいじな初心も、
ものを書く者として味わったことのなかった喜びも、
こんな日に飲むビールの味も、
またものかき隊が教えてくれたわけです。


いつになったら恩返しをさせてもらえるのでしょうか。
わたしのライター人生、まだまだ続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?