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「同じような毎日の繰り返し」ではいけないのか

12月前半、期せずして忙しくなってしまった。
次の週末まで予定がパツパツである。

「泊まりで出かける」「人に会う」となると、その前にあれこれ済ませておきたい気持ちになるのは不自然ではないだろう。
そうした「自分の」予定に、思ってもみないところからぱらぱらと舞い込んでくる連絡が重なって、あれよという間にカレンダーが埋まっていく。

あるいは自分が、子どもが、仕事相手が体調を崩して、ばたばたしている人も少なくないだろう。

大掃除もそうだが「今年のうちに」すませたいことは多かれ少なかれあるだろうし、それは関係各所も同様だし、体調不良のイレギュラーが起きやすい時期なのも相まって、12月のスケジュール管理はもうブレーキとハンドルの壊れた車を運転するぐらい大変である。


わたしの12月初旬はたしかに刺激的だったが、明らかに無理をしている。
ふだん7時間必要な睡眠を4~5時間に削っている。
日曜日は自己投資の時間にすべく予定を入れないようにしているのだが、フタを開けてみると2回連続で死んだように眠る日曜日となってしまった。

…無理をした代償である。

さらに少なくともあと1週間はバタバタした日が続く。
予定を入れたのは自分だが、それにしてもカレンダーを見るとじゃっかん胸焼けする。


「同じような毎日の繰り返し」という言葉が使われるときには、だいたいがあまりいい意味を示さない。
つまらない、刺激がない、成長できない、このままでいいのか不安になる。

もし、同じような毎日をどこか変えたいなら「アハ体験」のごとく少しずつ変えたほうがいい。
つまり小さなことから始めて、じわりじわりと効果が表れ、大きな変化となるまで続けていく。

あなたもよくご存知のはずである。
「そんなこと」と思えるような小さなことでも、毎日続けるとなると簡単ではないと。


短期間の急なダイエットはリバウンドを招きやすいのと同じように、無理は長くは続けられない。どこかでしわ寄せがやってくる。
ここ2週連続で日曜はふとんと一体化しているわたしのように。

こんなふうなら「同じような毎日」のほうが、わたしにとってはよほどプラスだと思える。
同じような毎日の繰り返しは、そんなに否定されるべきことなのだろうか。


そもそも「同じような毎日」を維持するのって、逆に難しいと思う。
進学、就職、転職、転勤、退職
自分だけでなく、家族や、同僚も。
もしかしたら誰かがケガや病気をするかもしれない。

それこそ春夏秋冬、移ろう季節によっても微妙に生活は変わるよね。
雪かきが必要な地域の人は、出かけるにも時間の余裕が必要だ。
子どもが夏休みの8月は食事の準備が忙しくなるだろうし。
繁忙期と閑散期がある仕事の人は、出勤や退勤の時間が変わるかもしれない。

変化がないなんていうことはなくて、変化らしい変化だと思っていないだけだと思う。
自ら意図して起こした変化でなければとくに。
基本的に子どもは7歳になる年には小学校に通い、小学校を卒業したら中学校に進学する。
転勤は絶対命令である。
「対応して当然であり、対応しない選択肢がない」ため、もはや変化とも意識しないだろう。

でも生活にはしわが寄る時期もあるし、そのしわを伸ばそう伸ばそうと、毎日その繰り返しだ。

「同じような毎日」を維持するのって意外と難しい。

そんなハードな毎日でさらに変化を起こしたいなら「アハ体験」のごとくでないと、ぶっ倒れちゃうよ。


あと20日ほどで年が変わる。
来年の目標を立てている人もきっと多いだろうけれども、1月1日から劇的に何かを変えようとすれば、きっと長続きせず、1月3週目頃にはモチベーションも下がり、3月ぐらいになるともはや目標を忘れているかもしれない。

同じような毎日のなかにすこしだけ変化を起こすことがだいじなんだ、やっぱり。
無理は長続きしないのだから。



今日も読んでくれてありがとうございます。
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