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不安定な日常、安定の粒あん

どうも、あんこはぜったい粒あん派です。

あんこって、だいたいなにか皮で包まれているじゃない。
あんこが外側にある食べものっておはぎぐらいじゃないのかね。

おはぎ以外は、おまんじゅうも、あんパンも、あんまんも、だいたいあんこが内側でしょ。
だから見た目で中身がこしあんか粒あんか、見分けるのって至難の業なのよ。
…ちょっとした博打だよね。

あんまんの中身はこしあんが相場だから、わたしはあんまんがあまり好きじゃないのかもしれない。

それなら今川焼き?回転焼き?大判焼き?を選ぶもんね。
あれは粒あん率高めだから。今うちの冷凍庫にも入っています。

そうそう、この時期は草餅もおいしい。
スーパーで、ごていねいに「粒あん」とシールが貼られた草餅を見かけると、ついつい買ってしまう。

∽∽∽

こしあんよりも粒あんが好きだというのは、もちろん両方を食べてみたから知っている。

それも一度や二度ではない。
親戚の集まりにおばちゃんが持ってきた手土産で、あるいは粒あんへの淡い期待を抱いて買ったおまんじゅうで、こしあんも何度もいただいたうえで「ああ、やっぱり粒あんのほうが好きですね」と判断するに至っているわけだ。

大学生の時分はビールがおいしいと思えなかった。
しかしバイトの先輩たちがみんな1杯目にビールを頼むもんだから、ひとりメニューをみて「えーっと」とお待たせするのも申し訳なく、1杯目はわたしもビールを頼む。

まー苦いような酸っぱいような、炭酸も苦手だし、1杯目を飲み干すのに1時間はかかったよね。

そんな折に呼んでもらった、社員さんの結婚式の二次会。
細長いグラスに注がれた1杯のヱビスは衝撃だったね。
「うま!」って。思わずね。

何度食べくらべても今のところやっぱり粒あんが好きだし、ビールは何度も飲むうちに好きになった。
最近は居酒屋でビールか緑茶ハイしか飲まないぐらいだ。

∽∽∽

何度経験しても揺らがない好きもあれば、何度も経験するうちに苦手が好きになることもある。

メンタルの不調は何度経験しても好きになれそうにないが、ついとってしまう行動として「自己啓発書に手を出す」がある。

むしろ自己啓発書を読みたくなると「おやおや、ひょっとしてメンタルの具合がよくないのかな?」と思うぐらいだ。

手っ取り早く「答え」を知りたいのよね、きっと。
「これだ!」というなにかを手繰り寄せたいと、心が叫んでいるのだろう。
まさに「藁にもすがりたい」ってやつ。

いろいろ読んできたけれど、もはや目新しい内容に出会う機会は減ってきた。
それなのに、このあいだ書店でまた自己啓発書に手が伸びそうになった。

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自分の拠りどころとする思考や行動というのは、自分の調子によってコロコロ変わってしまう。

自分が揺らいでいるから、自己啓発書などという他人の考えにすがりたくなる。(決して自己啓発書を批判しているわけではない)


散歩だって最低限の調子がキープできているから毎日出かけられているのであって、本当の本当に調子が悪くなったら外に出ることさえ億劫になるだろう。

1日の終わりの楽しみだったお酒は、昼だろうが関係なく「飲まないとやっていられないもの」に変わってしまうかもしれない。

「生きてるだけでまるもうけ」との慰めも「いやがんばるとか、あたり前だから」との叱咤も信じられなくなる。

…揺らぐことは怖いことなんだよね。
吊り橋とかはしごとか、足もとがグラグラしたら怖いし、地震はその最たるもので。

皮肉なもんで、安定していると不安定な刺激がほしくなるし、好奇心にもつながっていくんだけれども、不安定なときはまず安全安定がほしい。


しかし、そもそも不安定が日常だと思ったほうが利口なのだろうな。

四六時中バランスボールに乗っかっている感じ。
ちょっとバランスを崩したら大きくよろめくし、体幹と重心がピタッとはまればわりあい安定していられる。

バランスボールに乗っかっているには、筋肉が要る。
バランスボールに乗っかっていると、筋肉がつく。

よろめく状況さえ筋肉への刺激だと思って楽しめたら、もうなんでも楽しめるだろうね。


不安定はあたり前。
縁側に腰かけるぐらいの感じでバランスボールに腰かけて、緑茶片手にあんぱんでも食っていられる余裕がほしいね。
もちろん、安定の粒あんで。



今日も読んでくれてありがとうございます。
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