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寛容になりましょう 第3のリベロ Vol.39

今朝は、FM802のWEEKEND PLUSの時間だった。連日の超勤でも片付かなかった残務を持ち帰り、平日並みに起きてradikoを聴きながら机へ向かう。わが勤務先では公示から配属までの期間が実質2週間足らずと、ごく短い。日中は15年分の仕事を後任へ引き継ぎながら、年度末の平常業務に追われ、年度をまたぐ用件は別の同僚へ託さねばならず、私の能力不足を差し引いても時間が足らない。

なんで、あんなに嫌いな仕事のため、こんなに生活の犠牲を払っているのか。もとの資格にも戻してもらえず、年齢と反比例の給金に甘んじている分際で、奉仕する義理もないはずなのに。疑問も不満も、慌ただしさに呑み込まれるうち現部署での出勤を終えた昨晩、一服の清涼剤になったのが「不適切にもほどがある!」の最終回だった。

令和6年の2024年現在と、昭和61年の1986年当時。本作の舞台には、38年間の隔たりがあった。来月で41歳を迎える私が3歳の頃だと言えば遠い昔のことのように思えるが、案外、そうでもない。たとえば、このほど定年を迎えた新人時代の主任は就職したのが1981年らしく、1986年当時はすでに社会人6年目だったことになる。リアルタイムで知る人びとが現役世代のなかにもまだ健在なのだから、38年前とは「現代と地続きの昔」という点で、絶妙な設定だったと言えるかもしれない。この間、世相がいかに大きく変化してきたか、鋭い風刺と満載の遊び心を交えながら描く宮藤官九郎の真骨頂だった。

資金難に陥った「バス型タイムマシーン」で令和から昭和へ戻った主人公の市郎は、久しぶりの昭和の習わしに続々と違和感を覚えた反面、令和へ戻ったサカエからの報告を受ける場面でも相変わらずしかめ面になった。本作の趣旨が単純な「昭和の懐古」ではないことが浮き彫りになり、どんな時代にも生きづらさは付きまとうことが表現されているようだった。「いまならアウト」が横行した昭和と、「何かとアウト」で窮屈な令和は、前者を知る人びとを通じて、これからも共生していく。タイムマシーンは実在しなくとも、私たちが市郎と同じ感覚に陥る可能性なら、日常の至るところに潜んでいる。最後のミュージカルシーン、キャストから伝えられたのは、世代も価値観も異なる私たちが折り合い、融和していくためのキーワードだろう。

”寛容になりましょう”そのメッセージは、週末も気が重い現在の私には深く響いた。なぜ、望まない異動のため注力せねばならないのか。そこで思考停止すれば何のやる気も起こらないが、後を任せる人のため、世話になった上司のためを思えば、貴重な週末を仕事に捧げる苦行でさえ、「たまにはいいか」くらいの気持ちにはなる。こちらが転出元の後任へ費やした数時間に対し、転出先の前任がこちらへ与えてくれた時間はほんの僅かだったが、「それだけ忙しいのだろう」と慮ることもできる。あとは、転出先の方々にお願いしたい。寛容の前提は相互の理解、双方向の思いやりのはず。どうぞ、私のことも大目に見てくだされば。


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