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元同僚の死に思ったこと。

今日、​以前働いていた会社で仲良くさせてもらっていた30代の女性が亡くなり葬儀等が全て無事執り行われたことを知った。

私は彼女とはもう1人の同僚を通じて会話するようになり、一緒にランチに行ってもらったりしていた。

その同僚は結婚準備でバタバタしていた私に気を使ってか、もしくは本人の意思だろうか。もうその会社を離れてしまっている私に彼女の病状を伝えることは一切しなかった。

雨宮まみさんが亡くなった時にも思ったことだが、
世代が近くかつ独身の女性が亡くなるっていうのはちょっとインパクトが強すぎる。
人の命の重さ云々を言うつもりは全くなくて、ただ単に自分と重なるから怖いのだ。

今日もその人が亡くなったというLINEを見てしばらく絶句したあと涙が出てきた。
悲しいというよりその人がもうこの世にいないということに驚きすぎて涙が出てきた、という表現が近い。

彼女は私より少し年上だったが肌も白くていつもつるつるで、健康そのものだと思っていた。
私みたいにノリと人脈でふらふら転職しているのではなく、
技術力と確かなキャリアから成る礎の上でしっかりと生きていく女性だと思っていた。

そしておしゃれだし、かわいい。
私がその会社を辞めた時点では彼女は独身だったがそのうち誰かと、さらっと結婚したりするんだろうな、外国人と事実婚とかも似合うな、などと勝手に思っていた。

同じ部署ではなかったので3人でランチに行くくらいの仲だったが、
この業界の中の仲間だと私は勝手に思っていた。

その仲間が1人いなくなってしまった。

以前に母に「離婚した私がとやかく言えないけど一回くらいは結婚してみてほしいし、1人くらいはこどもを産んでみてほしい。自分よりも大切なものができるっていう感覚は一度は経験してみてもいいんじゃないかなって思うよ」と言われたことはいつまで経っても覚えている。

子供がいたら死ぬのが怖くなくなるわけもないだろうが、
自分の死に直面するとき子供という存在がいたら死にゆく自分以外の気にかける対象にはなるだろうと想像する。
自分が死ぬとしても子供に会えてよかったと思うだろうし、特にまだ幼かったら残して自分がいなくなることを心底無念に思ったりするだろう。

でもそういう対象がいない人間が死に直面した時、
何を思いながら死んでいくのだろうか。

結婚も出産も必須じゃないし、もしかしたら私の人生では叶わないかもしれない。

彼女も結婚や出産を望んでいたかなんて知らないが、何を思って死んでいったんだろうか。

こわかっただろうなとか、寂しくなかったらいいなとか、支えてくれる人はいたのかなとか、
せめて最後良い人生だったなって思っててほしいなとか、本当に勝手だが考えてしまった。
考えても何の弔いにもならないが。

こういうことがない限り生命は有限であり、そしていつそれがぷつりと切れてもおかしくないものだということをすっかり忘れている。

普段からいつか死ぬことを意識しながら生きていくのもつらいのでやりたくはないが、でも、もうちょっと有限なものとして大事に扱わないといけないんだなと。

ただ私が今思うことは、またランチしながら馬鹿な話だったりお互いの同僚の文句を言ったりしてゲラゲラ笑いたかったな、ということだ。

「悲しいというより」なんて言ったがよく考えるともう二度と会えないということが、ただただ悲しい。
天国とか地獄とかなんでもいいけど、死後の世界なんかが万が一あったとしたら、またランチしたいですね。

会いたい人には、会っておかないとね。


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