散文 7

信じる、ということは、あの頃の私にとっては到底近づくことのできない、とても眩しいものだった。
眩しくて目を向けられないほど。

友達、というものは、あの頃の私にとっては理解しがたい言葉だった。
余りにも苦しくて脆い、その関係性。

私と彼女たちの間には常に薄い、ごく薄い膜が張っていた。
まるでココアの表面の、薄いそれのような。
フォークで掬えば簡単に取り除けたはずの薄い膜。
私は、けれど、そのやり方をまだ知らなかった。
その薄く儚い膜は、頑として私たちを隔てていた。
そうしてココアは冷めていった。口をつけられることのないまま。

その世界が、私のすべてだった。

あれから、私は大人になった。

いくつもの嘘と、いくつものほんとを抱えて。

ゆっくり、でも確実に歳を重ねた。

以前なら眩しすぎて直視できなかったもの、あたたかすぎて触れなかったもの、そういうものものに今、囲まれて暮らしている。
ぬくぬくと。
あの頃の私はそれを、羨むだろうか。裏切りと思うだろうか。
ちくりとした、ちいさな、痛み。

たぶんほんとは、簡単なことだったのだ。

信じる、ということは、とても単純なことだった。

あなたに会えたから、知ったのです。
息をしていて、よかったのだと。

あの頃の私は、くだらない意地の中で喘いでいた。
膜を取り除く術を、本当は知っていたのかもしれない。
知っていて、その上で、拒んだのは私だった。
膜を築くことで自分を守って、傷つくことで自分を美化した。

けれど、もう何もなくなった今、しょうもないプライドや傷つき傷つけることでしか確認できない他人との関係性や、そういうもろもろが必要なくなった今、生きることはこんなにも楽しい。

今いるこの場所は、ずっと呼吸がしやすい。

ありがとう、
あなたがいたから、知ったのです。






#散文 #存在 #art

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