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滝に打たれて修行したけど太ってたから平気だった話

よう、俺だよ。雨が多くて大変だな。洗濯物は乾かないし、雨が降らなきゃ降らないで暑い日になるし、たまったもんじゃないな。

で、そんな中、ついこの前、滝行に行ってきた。滝行。

あのあれ、山岳地帯にある、高いところから水が落ちてくる場所(滝)にわざわざ入って、なんかバーッて打たれて精神的にアレするやつ。修行。

高校の頃の友人が家業継いで僧侶をやっていて、グループLINEに「滝行行きたいやつ、おる?」って募集してきたところ「俺は行くぜ」「お前だけにいいカッコさせるかよ」「コーホー」みたいな感じで5人くらい連れ立って行くことが決まった。

俺としては「決まった段取りが苦手」というライトなAD/HD (ACDCみたいに書くな)的観点から宗教に苦手意識があったが、「何か効くらしい」「生の実感」のような話をチラホラ聞くうちに、「最終的にnoteの記事のネタにでもすれば黒字だろう」くらいの勢いですぐさま参加表明をするに至った。

結果的に言うとめちゃめちゃ面白く、たぶん体にもいい(人によるだろうが)と思ったので、簡単ながらレポ記事を書いておこうと思う。

一応断っておくが、あくまでレポなので特にどこかの宗教に誘導するとか、そういう話は一切ないし、逆に貶める意図もない。とにかく体験が面白かったし、俺の考えを書いておきたかったところ、4,500字位になった。

また、上記の通り俺は決まった手順とか段取りが苦手なので、儀式的なプロトコルがアヤフヤな部分があったり、何なら宗派とかもうろ覚えのため、宗教的に不適切な表現を使うことがあるかもしれないが、温かい目で見るか、この記事のことを忘れて別の素晴らしい記事を見に行くかしてほしい。

修行とは何か

全然わからない。俺は雰囲気で滝行に行った。僧侶の友達からは、事前に「やるからにはマジで臨むこと」という旨と、簡単な事務連絡が行われ、当日を迎えた。

ところでマジもんの「修行」ってしたこと、ある?俺はなかった。ラーメン屋の「修行」とかではない宗教用語上の意味では「戒律などで決められた理想形に近づくためにする行為」らしく、聞けば聞くほど「俺がやることではなさそう」という印象が強まる。

どうも「滝に打たれること」と「理想形に近づく」という行為が糸でつながらないままだったが、友人の僧侶は信頼のおける存在のため、「やればわかるだろうか」くらいのぼんやりした気持ちでいた。

滝に入るときは白いのを着る

朝集合、朝解散。ヘルシーな会。滝はここ

朝、8時くらいに集合。俺は本厚木駅で車で拾ってもらった。そのまま西へ進み、川沿いのキャンプ場を後目にどんどん山へ入っていった。駐車場に車を止めると、すぐ横には何らかの祠があった。

どうも滝自体が御神体として扱われているようで、民間信仰やら神仏習合やらがクタクタに煮込まれた歴史を持つことが、滝への順路の入り口にある看板から読み取れた。

滅多に人が来ないところなんで普通に駐車場で服を脱ぎ、レンタル(500円)の白襦袢に着替える。背中と首に何やらミステリアスな漢字や文様が書かれている。意味はよく分からない。なんか龍神がどうとか。

事前に「下に履くやつは枚数ないから、早い者勝ちで」と言われていたが、俺は前日に再就職のための面接とオフ会でてんやわんやのため、レンタルを頼んでいた。

悲しいことに俺は太すぎて入らなかった。

俺の太ももは如月千早の胸囲と同じ太さで……えっ……ちーちゃんほっそいね……俺、胴体から千早が二人生えてんの?

俺は、下半身裸のまま滝に行くことにした。一応、前は襦袢が隠してくれるし。他の人は何とか半パンの白ジャージとか、そういうのでうまくやっていた。あとサンダル的な物も忘れたので駐車場から滝までの砂利道や河原の移動も裸足になってしまった。超痛い。すでに修行の趣があった。

いま改めて滝に入る前の集合写真を見ると、俺だけ下半身に何もつけてないので現代文明を全く感じさせない佇まいで、笑ってしまった。

滝行のプロトコル

以下、覚えている範囲で書いていく。どうせ後でどの箇所が辛かったかとか詳細に説明するので、全部読まずに次の見出しまで飛ばしてもよい。

(1)駐車場横の祠でお参り
(2)滝への入り口で僧侶より塩、九字切りみたいなモージョーを受ける
~~以後、駐車場に戻るまで私語禁止~~
(3)滝の横にある別の神社(鳥居があった)でお参り。僧侶が以下2点をやる
 1.ホラ貝を吹く
 2.フライパンみたいな形の太鼓を叩きながら読経
(4)滝を横から望むデッキのような場所で以下2点やる
 1.何か唱えて僧侶が酒を滝に撒く
 2.デッキに生えてる石碑?に線香を供える
(5)滝に入る
 1.桶で水をすくって頭からかぶる ×10回程度?
  →なんか唱えていて、「ムニャムニャムニャ、ソイ!」の「ソイ!」
   で水をかぶる。「ソイ!」は全員で叫ぶ。
 2.滝に打たれる
  a.滝に打たれる時間は「南無妙法蓮華経」を22回頭の中で唱えるのが
   最低ラインで、それ以降は「ダメだ!」と思うまでやる。
  b.コツ1:背中を岩肌に預け、肩と頭で滝を受ける。
  c.コツ2:叫ぶこと。叫ばないと息が詰まって終わる。
(6)来た道を戻る
(7)神社にお参り(ホラ貝と太鼓)
(8)駐車場横の祠にお参り
(9)おわり

滝行どうだったか

手順を全部書いておいてなんだが、正直なところ、上のほうに書いてあることの大半の意味は分からなかった。何やら修験道的なまじないとか、地域の水神である龍神とかに面通しした感じなんだろうか。

記事のタイトルにある通り、太っていることのアドバンテージはひしひしと感じていて、滝に入ってしまえばいつまでも打たれていれそうな気さえした。細身だとちょっと大変そうだった。僧侶曰く「水量はあるが水温のコンディションは良く、俺ならば後5倍の時間は当たってられそう」との事。

一番つらかったのは前述「(5)-1」の桶で水をかぶるところで、冷た過ぎて息が止まりそうになり、なんとかごまかして、この水かぶるやつだけで「滝に打たれた扱い」にならないかなと思っていたが、力強く滝へ連れていかれた。

滝の水は冷たく、とめどなく肩を叩きつけるのでしっかり立つ必要があった。特に「コツ2」にある「声を出す」というのは本当に重要で、水をかぶった時と同じく冷たくて息が止まりそうになるので、結果的に何度も「南無妙法蓮華経」を叫ぶことになった。

途中で意図的に叫ぶのをやめてみたが、息が止まって危険な感じがしたので結局叫ぶことにした。全力で声なんか最近出してなかったので、次の日、起きたら全く声が出なくなっており、三日三晩トローチを食って、筆談で暮らし、大滝秀治の物まねをして過ごした。滝行は思ったよりうるさかった。

滝行で脳汁

滝行を終えてみて、体の変化は思ったより早く出た。それこそ滝から上がってすぐくらいに出た。

なんか体が整い、エネルギーが一つにまとまり、循環している感じ。体がうっすら温かく、性欲もすごい。滝から上がって着替えるときに足の裏を拭いたら布が真っ赤で、どうやら両足とも石で切ってたのにも全然気が付かなかったらしく、ちょっと引いた。

つまり、体が何かポジティブなエネルギーに包まれていた。僧侶いわく「普段の生活で抑圧が強く、ため込んでいる人ほど"効く"」とのことだが、無職の俺にも結構効いた。抑圧とは……

僧侶の友人は心理学を修め、カウンセラーとしても活躍するインテリジェンス・ボーズであるため、滝行をサイエンスしようとたくらんでいるのだという。俺もなんとなく、どういう効果があるのかの端緒をつかんだような気がした。脳内物質がすごい出てそう。

高度に発展した部活は

俺の体に起きた変化は面白く、しかし、この感じ、どこかで……と思ながら小田急に揺られているうちに、俺は一つの結論を郷愁めいて思い出した。

部活」だこれ……

部活、ああ、部活……多感な年ごろを経てOtaku-boyとして道をシフトインし、中学3年生で水泳部の引退後、すっかり離れて久しい概念だ。プールの敷居をまたぐときは「失礼シャス」と一礼したり、冬の走り込みで声出してないと怒られたり。もう具体的なエピソードはうろ覚えだ。

そして体育祭。男子校のそれは蛮族の奇祭に似る。俺のようなOtaku-boyは主ポスター作りや、PTAの配るタオルの図案作成(手癖で女の子を描いて「ここは男子校だよ」と美術教師に諭された)が主戦場だったものの、一番蛮族っぽい棒倒しとか神輿担ぎ(これは学祭だったか?)は全員参加だったから大変だ。上半身裸でダッシュし、ぶつかる。勝っても負けても、鬨を上げる。

察しのいい人はもう線でつながっていると思うが、滝行は相当、いい意味で部活だった。俺があの滝行の日にやったことを要素としてまとめると、以下の通りとなるが……

(1)前日から思考にノイズを引き継がないようにする(姦淫と酒断つ)
(2)一定のルールに従い、精神を集中させる
(3)大勢で同じタイミング、内容の大声を出す
(4)体力を激しく消耗する状況に耐える

……結構、部活だろう。これは……

ロマサガに「ウォークライ」といって大声を出して攻撃力を上げる技があって、俺は正直「声だけで攻撃上がれば世話ないわな」と思っていたが意外と馬鹿にならない。

滝はそもそもすごい音を立てて水がひっきりなしで落ちてくるし、そもそも山奥なので人間が出す声など誤差の範囲でしかない。だから心置きなく声を出せるし、いわば普段所属する社会性の外側っぽい場所に行くのもきっと効果がある。

そうした精神的なノイズの発生しにくい環境を整えたうえで、短い時間で「集中」「発声」「忍耐」をサイクルさせることで脳を強制的に集中状態に持っていき、脳由来で体全体の調子をアクティブな状態にさせている感じがする。俺は脳科学者じゃないからわからないが、そんな感じだろう。

当然、宗教的なニュアンスでは、そういうアクティブでポジティブな考え方の時のほうが複雑なこととか将来のこととか考えるのに向くわけで、いわゆる宗教用語としての「修行」の効能である「理想形に近づく」プロセスとしても大変筋が通ってると思った。

未来へ

まとめると、「滝行」とは「濃縮部活エキス生成会」だった。合理的なルールにのっとり脳内物質をドッバと出し、体の調子の方向が一つにまとまる感覚を味わえる。

正直、なめていた。宗教がちょっと苦手だったから。でも、俺が宗教の機能の一つとして考える「ライフハックの集合体」の一側面として本当によくできていることは体験してよくわかった。

特によくできていると思った点は、こと日帰りでサッと行くだけなら体調整えるだけで特別な訓練も不要で脳汁ドバ体験ができるところ。(サンダルと白半パンはあった方が文明的だ) 僧侶の友達曰く、「社員研修で使うところもある」とのこと。それもどうなんだろうな。と思ったけど黙っていた。

またやりに行く場合は、その僧侶の友達経由で依頼できることらしいので、もしやりたい人いたら一緒に行きましょう。

じゃ。

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