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【赤報隊に会った男】⑥ 時効後の再告白~「関西のホテルで会った」

赤報隊を名乗るグループが朝日新聞社などを襲撃した警視庁広域重要指定116号事件は、2003年(平成15年)3月に全ての犯行が公訴時効を迎えた。
その翌年の10月、鈴木邦男は筑摩書房から「公安警察の手口」という新書を出版した。

鈴木の著書「公安警察の手口」(ちくま新書)

タイトルの通り、日本の公安警察の捜査手法や組織構造、その問題点を体系的に論じたこの本の中で、鈴木は116号事件に言及して次のような文章を書いている。彼の胸の内を探るうえで非常に重要な資料だと思うので、少し長めに引用してみよう。

赤報隊は、朝日新聞の記者を殺害し、東京、名古屋などの朝日新聞社の本社、支局、寮などを襲撃した。警察も必死になって捜査した。しかし捕まらず、時効の一五年が過ぎ、犯人は逃げ切った。右翼担当公安にとっての初黒星だ。あるいは、はじめから刑事部が担当していれば捕まったかもしれない。それを、「これは俺たちの事件だ」と公安が出てきた。そして右翼だけに絞って捜査した。初動捜査で失敗したのだ。捜査の方向を新右翼に向けさせることによって赤報隊はまんまと逃げおおせたのだ。これは間違いない。
むろん、ぼくはこの事件には一切関係がない。少しでも接点があったら確実に捕まっている。ただし、「彼らではないか」と思える人間には会っている。運動をやっている人間ではない。どっちかというと、潜在右翼といわれる人間だ。彼らのことは漠然と書いたことはある。しかし、いつ、どこで会ったか、何歳くらいの男か、何と名乗ったか、を含めて具体的なことは何一つ書かなかった。
理由はいろいろある。相手は僕を信用して会いにきた。凶悪犯であろうと、その信義は守るべきだと思った。ぼくが詳しく書けば、それを警察も読む。「警察に売る」ことになる。それは嫌だった。また、公安には今までさんざん苛められ、痛めつけられてきた。その恨みもある。確かに朝日の記者を殺したのは許せない。しかし全国の朝日の本社・支局を襲い、警察をキリキリ舞いさせている。「ぼくらの恨みを晴らしてくれている」とも思った。だから、赤報隊については、「ぼくが書くことによって彼らが捕まらないように」と思って、気をつけて書いてきた。いいことではないだろうが……。複雑な気持ちだった。
前にも触れたが、一度、ギリギリまで書いたことがある。「週刊SPA!」の連載にだ。そうしたら第一回目を書いた時点で、ガサ入れが来た。「赤報隊と会ったというから、メモや手紙があるはずだ」と。こいつらは馬鹿かと思った。せっかくギリギリまで書こうと思ったのに、「もうやめた。誰が教えてやるもんか」と思った。金の卵を生むガチョウを殺したようなものだ。アホな兵庫県警のガサ入れで赤報隊事件は本当に迷宮入りになった。なぜなら、当初の構想では、その後、「週刊SPA!」で赤報隊に手紙を出し、彼らからの返事をもらおうと思っていたからだ。返事は来ると思った。彼らの本当の意図も、また、実態も分かると思った。捜査がぼくら新右翼に向くことで赤報隊は逃げ切った。ぼくらに対しては「やましさ」を持っているはずだ。回答くらいはよこす。そうしたら捜査の進展もあったはずだ。それなのに警察(公安)は自らの手でそれを断ち切った。愚かな連中だ。
知っていることを全て言う義務はないだろう。これまでぼくは、赤報隊のことについてはどこかでセーブして書いてきた。それは公安への〈恨み〉が動機になっている。

「公安警察の手口」(ちくま新書)

いかがだろう。
「夕刻のコペルニクス」赤報隊編から実に9年後の鈴木の独白である。
はっきり言って、ここに新たな暴露話はない。しかし、どういう気持ちであの連載を書いていたのか、なぜ、あのような中途半端な結末になってしまったのか、かなり率直に胸の内を語っているようにみえる。
センセーショナルな見出しと思わせぶりな本文で読者の興味を煽りに煽った「夕刻のコペルニクス」に比べると、この「公安警察の手口」は全体的に冷静な筆致でつづられた地味な書籍だ。
それだけに僕はこの文章に重みを感じる。
「夕刻のコペルニクス」の記述が全て事実ではないにせよ、やはり彼は、赤報隊らしき男と本当に会ったことがあるのではないかーーーー。
そんな心証を抱かせる文章だ。

別冊宝島への寄稿

さらに鈴木は翌2005年(平成17年)、今度は宝島社が出版した「別冊宝島 戦後未解決事件史」というMOOK誌に「『赤報隊』と疑われた私の18年」と題した手記を寄稿。この中で「夕刻のコペルニクス」を彷彿とさせるような赤報隊との接触エピソードを披露している。

「別冊宝島 戦後未解決事件史」に掲載された鈴木の手記

この手記から重要部分を引用してみよう。

「朝日の記者を殺す。それを通して左翼的な朝日の論調を正す。日本に害毒を流す朝日をやっつける」なんて言われたら必死に止める。警察に通報してでも止めたかもしれない。究極の選択だ。でもそんな選択はさせなかった。大きな事件が終わってから、彼は会いに来た。
いや、僕が会いに行ったのだ。切符が送られてきた。関西のある駅で降りた。すごい雑踏だ。押されながらすれ違った男がいた。「後をついてきてください」と小声で言い、スタスタと歩く。一度も後ろを振り返らない。尾行を警戒してるのだ。ホテルの部屋を取っていた。寝ないで話をした。そんな会い方を何度かした。

「別冊宝島 戦後未解決事件史」掲載「『赤報隊』と疑われた私の18年」

いかがだろう。
若干の違いはあるが、この話は「夕刻のコペルニクス」で描かれた〈第2の接触〉によく似ている。
最初に手紙が送られてきて呼び出され、スパイ映画さながらのミステリアスな方法で警察の尾行をまいたうえで密会するというストーリー。ただし、密会場所は関西のホテルだったと書かれている。これは新情報だ。
とりあえず、このエピソードを〈関西での接触〉と名付けることにする。
例によって日時は明示されていないが、朝日新聞の記者を殺害した後で接触してきたというふうに書かれているから、1987年(昭和62年)5月の阪神支局襲撃事件の後なのだろう。つまり、〈第2の接触〉や〈第3の接触〉と同時期の可能性もあるということだ。
先に挙げた「公安警察の手口」といい、この別冊宝島の手記といい、いったんトーンダウンしていた赤報隊との接触話を、鈴木が蒸し返し始めたような印象を受けるのは僕だけだろうか。

密会で何を話し合ったのか

では、このような密会を通じて、鈴木と謎の男はどんな話をしていたのだろう。手記の中にはこんな記述がある。

朝日・毎日は論調は左翼的かもしれない。しかし、右翼・民族派の言い分を載せる。許容度が大きい。左翼的だと思われてるから、かえって反対意見を載せるのかもしれない。野村秋介さんにしろ僕にしろ、朝日・毎日に取り上げられた事が一番多い。それに比べ、産経・読売は右翼・民族派の主張を一切取り上げない。似てると思われるのが嫌なのだ。(略)
だから僕は、朝日、毎日の方が「味方」だと思う。ところが赤報隊はその理屈が分からない。いくら話しても平行線だった。だが、考えの違う僕を信頼し、会いに来た。そこは不思議だ。

「別冊宝島 戦後未解決事件史」掲載「『赤報隊』と疑われた私の18年」

また、こんなことも書いている。

「彼らは」と言ったが、実は僕は一人しか知らない。何人かのグループで、どうやって集まったのか、分からない。又、僕の会ったリーダー(と思うが)だって、正体は分からない。一方的に、向こうから連絡がある。こんな方法があったのか、と思う方法で連絡してきて、何度か会った。何故、やったのか。朝日新聞に対する怒り、アメリカに対する怒りを彼は言う。しかし、個人的なことは一切言わない。何の仕事をし、どこに住んでいるか。殺しの技術をどこで学んだか。そんな事は一切言わない。僕も聞かない。

「別冊宝島 戦後未解決事件史」掲載「『赤報隊』と疑われた私の18年」

さらに、驚くべきは次の記述だ。

「時効になったんだし、“実は俺たちがやった”と名乗り出たらどうですか」と本人に言った。「そうですね」と答えたが、やる気は全くなさそうだ。そんなことをしても何のプラスにもならないと思っているからだ。

「別冊宝島 戦後未解決事件史」掲載「『赤報隊』と疑われた私の18年」

これにはさすがに唖然とした。
例によって、この会話が交わされた日時も場所も、さらには、どういういきさつでこういう会話をすることになったのかも一切書かれていないが、このやりとりが事実なら、鈴木は116号事件が公訴時効を迎えた2003年(平成15年)3月以降にも赤報隊らしき男と接触していたということになるではないか。
あまりに突飛な内容だが、とりあえず、これを〈時効後の接触〉と名付けておくことにする。

とらえどころのない文章

ただし。
この別冊宝島の手記は、読めば読むほどとらえどころがない。
具体的に言うと、主語がはっきりしない記述、時系列の乱れた記述、前段の文章を後段の文章で否定するような記述が多数あり、全体として事実関係が非常につかみにくい構造になっている。
「夕刻のコペルニクス」以上に幻想文学的雰囲気をまとっているというか、意図的に事実関係を曖昧にして読者をミスリードしようとする意図さえ感じられるのだ。

実をいうと、鈴木邦男が書いた文章の中には、こういうタイプのものが時々ある。
自分の頭の中の推理や妄想をあたかも確たる事実であるかのように断定調でズバッと書き、読者をびっくりさせた後で、「実は単なる想像かもしれないよ」ということを匂わせて煙に巻く、というのが典型的パターンだ。
良く言えば、文学的で比喩的。悪く言えば、書いてあることを言葉通りに受け取るのは危険すぎる、一歩引いたところで話半分に聞いておく必要があるといった感じだろうか。
この別冊宝島の手記もそんな匂いが漂っている。その意味では、先に挙げた「公安警察の手口」とは対照的な文章だと思う。
一体、この手記をどこまで真面目に受け取ればいいのだろうか。
頭の中を整理するためには、「夕刻のコペルニクス」以前に書かれた鈴木の著作にも当たってみる必要がありそうだ。(つづく)

つづきはこちら→【赤報隊に会った男】⑦ 鈴木邦男証言の疑問点

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